2017年3月13日月曜日

疑惑の豊洲、衰退の築地

海外にいても、豊洲問題は、先週、百条委員会なるものが開かれて、その政治ショーはますます、興奮のレベルを上げているのが伝わってくる。こうした公開議論はそれ自体が政治ショーとなって、 夏の都議会議員選挙に向けて、ますます、メディアもテンションを上げていくのであろう。
しかし、面白がっている場合ではなく、日本の将来に大きな問題を含んでいると思うのだ。多くのメディアが、豊洲を選んだ際の手続きと、移転先としての安全(安心)という2つの問題に注目する中、実は最も大事なことが完全に抜け落ちている。が、誰もそれを口にすることはない。 
東京の台所といわれる築地は、いまや、外国人観光客の東京の目玉と言ってもいい。先だっても、日本に研修で招聘されたウクライナ人の御一行の唯一の観光希望地が、築地であった。『汚くて、危ない』などと、軽々しく口にする行政のトップを尻目に、いまや外人東京ツアーには欠かせないスポットとなっている。
他方、実体経済的には、築地はどんどん衰退しているのである。平成元年に1080あった仲買数は、平成27年には、638にまで減少、取扱量の方も、平成元年の80万トンをピークに平成27年は、約41万トンにまで減少している。豊洲移転が決定された平成13年には、こうした衰退の傾向は兆候ではなく、完全に右肩下がりが確定している。移転の理由の一つに「手狭になった」築地から、広々とした「豊洲」に移れば、起死回生ができるという主張があったのであるが、築地の衰退の理由は誰が想像しても分かることでであるが、2つ、一つは日本人が魚を食べなくなった(1990年の一人95kg/年から、2014年の70kg/年)、次に流通形態が変わり、スーパーなどの大手小売は、流通コストを下げるように、産地からの直接仕入れになっていることである。このトレンドは、ネットコマースが進展すれば、更に拍車がかかっても反転することは難しいのは想像に難くない。
設備を良くすれば、人が戻ってくる、売上が上がるというのは、幻想である。これは、ビジネスを知らない(知りたくもない)政治家が公共事業予算を確保する時に、日本中で使ったロジックで、それがどれだけ無駄と、地域の衰退に拍車をかけてきたかについては、もはや検証の余地もないほど、事例の枚挙にいとまがない。
経済のどん詰まり解消に、観光を目玉とした政府にとっては、築地は欠かせない文化遺産のはずではあるが、豊洲推進派はついには、築地の安全性に攻撃を始める始末で、事態は勝者なき泥仕合の様相を呈してきている。他方、はたして、豊洲に、外人観光客は行きたがるであろうか?これはかなり疑問である。整然と隔離、管理された最新の市場は、単なる流通の工場であり、歴史も文化も生活も全てをなくした空疎な空間でしかない。
観光すなわち文化を資源にすることは、歴史、景観、体験、そして生活すべてを感じられる場を提供することである。
本来であれば、築地の役割の衰退と継続すべき、そして観光資源としての再生を含む総合的な地域活性化ビジョンを元に、1000年の都市計画をすべきであったのが、単なる土地転がしの不動産、建設ビジョンで終わったことが返す返すも残念である。働く人、訪れる人、そして、築地の魚で商売を営み、そのサービスを楽しむ人と幅広い、広がりを持つ社会交流を提供するという文化の深みがあってはじめて観光政策は成功する。表面的な対応で参るほど、観光客は甘くはない。スラップビルドにより、当然のごとく文化遺産を破壊してきた日本の公共事業官民複合体からの脱却による新しい開発哲学の構築が必要である。







2014年11月4日火曜日

異次元的金融緩和と漏水問題

2014年10月31日、ハロウィーンの「Trick or Treat」ならぬ「Trick to Tweak (Inflation)」のために日銀は約80兆円の債券市場介入を行った。大した度胸、確かに異次元の金融緩和だ。一日で日本のGDPの15%くらいの国債を買い付けた。もちろん15%を使ったわけではないが、それだけ債務が増えたことは間違いない。これまでの買い付けと合わせると、GDPの75%となり、絶対額でもECB(欧州)を超える。其の結果が世界中の株価を押し上げた。つまりは日本の余剰資金が世界中にながれ込むことが既にわかっているということだ。すでに政府は日本の年金基金で海外の債権を買い付けを大幅に緩和している。2つのイベントが重なって、ダウは史上最高値をつけたことになる。つまり、余剰資金が投資に回らないことはすでに政策に組み入れられている。

私の仕事では途上国の水道ネットワーク改善に関わることが多い。途上国の水道の最大の共通課題は、配水パイプのネットワークがちゃんとメンテされず、そこらじゅうで破れ、水漏れしていることだ。ひどい都市では80%の漏水がある。そんなに水が無駄になるのなら、送水しないほうがいいくらいだ。漏水がひどいと、配水時間を限って、漏水を少なくしたいと思うのは自然の反応だ。そうすると水が足りないと不満が市民から出てくる。それに反応する為政者は、更にみずをつくろうとする。テープカットをして、私が水問題を解決すると高らかに宣言する。換気した市民はまた、選挙で投票してくれるということだ。水をさらに作り、水圧を上げると、漏水は帰化給水的に増えるので、漏水は更に増え、水不足は一向に解決せず、選挙ごとにこれが取りあえげられるということになる。

金融緩和もある意味一緒だ。グローバリズムがここまで進化した世界経済では、経済中心で、お金が増えると、水のように低くに流れていく。日本の金融緩和は、スペイン、インド、あるいは、地球の果てのバブルを引き起こす。

政策動機は「デフレマインド」を回避するため、「景気刺激」ということではない。直接の目標は物価上昇。原油の値段が下がってきてデフレマインドがはびこってきたのが動機らしい。片や、大幅な貿易赤字をエネルギー輸入=原発停止として、再稼働を国民に迫りつつ、かたや一生懸命円安にし更にエネルギー購入費を釣り上げる。後世、史上最大のトリックスター政策と評されるかもしれない。しかし、マインドを変えるためだけに80兆円使うか?


マインドは大事、日本人にかけているのは、金持ち感ではなく、ゼロからでもイノベーションできる本物の自信ではないか?唯一望むのは、これで景気は持ち直したということにして消費税値上げの口実になることは避けてほしい。政策は手品ではないはずだ。

2014年10月14日火曜日

モラトリアムの国の終焉

人間というものは、とにかく、面倒なことは、後に回す、決断を先延ばし、先送りにするという悪弊をもっている。これは自分自身も含めての反省だが(ちなみに夏休みの宿題を最終日以前に終えた記憶が無い。)、この傾向は日本社会に特に強いのではないかと最近思う。

不確実性が高い状況においては、我慢して待つことにより状況が展開する場合もあり、合理な側面もある。しかし、悪意のあるものも多い。先延ばしにより、後任に責任を取らせる、とりあえず予算を確保するといった詐取性をもった先延ばしもある。

ちなみに国債の乱発と公共事業による景気浮揚策はその国家的発露かもしれない。原発の廃棄燃料処理、あるいは化石燃料大量消費も科学技術の発展という後世の努力への勝手な期待によって正当化されているともいえる。未来に視座を移すことに失敗すると、人類の滅亡もそう遠くない話になるやもしれない。


仕事をしていても、なかなか日本の上は決断をしたがらない。場合によっては情報を取ることさえ禁じる者さえいたりする。情報集は、不確実性を減らす、危ないものは早めにやめるのも、正しい判断だ。やめて次を狙えばよい。日本では、とかく最後まで諦めないことが美徳化されすぎている傾向がある。しかし、ずっと頑固に同じことにしがみついて、人生を棒に振った話は、ニュースにはならないのだ。

不確実性と戦う技術を早くからみにつける必要がこれからはあるだろう。終身雇用も、学歴社会も、福祉社会も終焉しつつある。あるのは激動の社会での生き残り術だ。


不安に目をつぶると、更に恐怖が増幅する。情報収集による早い決断は未来の不確実性を減らす唯一の方法だ。未来の困難に目を見開いて向かうとき人は恐怖から初めて開放される。

2014年5月3日土曜日

日本ODAの変化

昨今の日本のODAは、日本企業の海外進出支援が一つのはやりとなっている。その背景には、かつては途上国であった韓国、中国に海外市場で後塵を拝するようになってきて、日本産業界の競争力に陰りが見え始めたということがある。アベノミクスによる円安誘導にもかかわらず、輸出は伸びず、割高になった石油・ガス輸入額だけが伸びて、貿易赤字を垂れ流してる現状に政府のあせりもある。経団連等産業界はODAの裨益が少ないと批判を続けていたということもある(よく引き合いに出されるのが円借款事業の日本企業受注率が3割程度という数字だ)。
他方、途上国に駐在の日本人に話を聞くと、彼らが現地で商売をする上で、ODAは大いに役に立っているというのだ。紐付きでない、日本の援助、総じて、役に立っていると途上国の人々は好感を持って受け入れている。その意味でODAを通じて日本人総体としての人の良さみたいなものを感じていると言っていい。
英国、米国、フランス当たりのODAは国家戦略に基づいて、自国、産業政策に結びついた巧妙な仕組みになっている。サッチャーが売り込みをしたりしたことを日本の産業界はずっと指をくわえてみていたのだ。日本はあまりにも純粋に相手国のニーズ中心で、日本経済界の裨益がまったくもって少ないという批判に呼応して制度変革が起きかけているということだ。そこで円借款も日本の企業受注しやすいものが優先となる。
貧すると鈍するという。これまで築いてきた日本のソフトパワー(ODAによる日本への尊敬の念)というものを、壊すことにならないことを願ってやまない。


2012年9月20日木曜日

尖閣列島問題の泥沼化を防ぐ方法


尖閣列島の国有化と中国での抗議運動の激化
なんだか日中関係は戦後最悪の様相を示しており、それこそ、柳城湖事件まがいが起こるのではないかと心配している最近です。

とんでも打開策
この打開策として
野田さんに残された道は、
1)中国の後任の大使に石原さんを指名する(意味ないなあ)
2)尖閣列島をロシア人に売る。(だからと言って日本の領海がへるわけではない)
3)通貨スワップの代わりに韓国と竹島と尖閣のスワップをする。韓国のほうが日本よりも受けが良いかもしれない。
4)島を爆破してしまう。(領海が減ってしまいますが、紛争の種はなくなります。)
5)じっとほとぼりがさめるのを待つ。
6)ウィグル、チベット、台湾の独立運動を支援する。(と脅かしてみる。)
たぶん、5)を次の総理は狙うでしょうね。
あまりぱっとしませんね。

アイデアの公募
どなたか、いいアイデアをお持ちの方はお教えくださいとFBで呼びかけたところ
とりあえず次のようなアイデアが持ち寄られました。

7)北方2島先行返還でロシアと友好条約を締結。

8)アメリカ軍基地を一部移転。オスプレイを配備する。
9)日中共同でリゾート地を作る。(雇用が生まれる)
との三つのご意見を賜りました。
更なる対話
これにさらに悪ノリする形でわたしが出した提案が次のもの。

10)アントニオ猪木をつれてって、尖閣にリングをつくり、日中K−1大会をする。団体戦で勝敗を決める。大会は毎年行って勝った側に領有権を1年間付与する。ただし、島の施設の建設は両国合意のもと、負けた方が請け負う。
11)中国人が不法侵入しなくていいように、入管を設置して、一時滞在ビザを発行する。ビザの発行条件は島内だけで、料金は100ドルくらいに設定する。
12)国家再生戦略の一環として中日友好記念博物館を設立する。

対話の進化
すると11番のアイデアに対して
13)11)に付随して、カジノを設置すれば、喜んでビザを取って入国するかもしれません。マカオやタイと隣国の国境のように。
というご提案をいただいております。
いまのところ一番有望な提案が13番で、これを東京で実現できなかったカジノということで石原都知事に任せる事で話がまとまりそうです。

お詫び
中国に赴任されている方々はきっと不安な毎日を御過ごしのことを思うと不謹慎とは思います。どうか平穏な日が一日も早く来る事を心から願っております。
日中の関係改善はお互い笑い合える仲になる事ではないでしょうか。

2012年9月10日月曜日

シャープの悲劇:集中と選択

シャープの苦境
最近の経済情報を読むとどうもシャープがやばいらしい。借金がかさんでいて、かつ株価が暴落しているので、台湾の救世主からの投資もうまく進んでいない。
日本の凋落する家電の中にあってほんの数年前までは世界の液晶TVのトップランナーとして意気軒昂だったように思うのだが、最近の栄枯盛衰のサイクルの短さには正直ついていけない。

重電からTVまでを手掛ける東芝、日立、あるいは液晶TV優位を見誤ったソニー、パナソニックをしり目に高級TV路線を独占するために果敢な集中と選択の戦略をとりシャープはマスコミの寵児であった。実際にシャープの売り上げは倍々ゲームで2001年から伸びていた。

現在、赤字を垂れ流しているがその中核部門の液晶TVとソーラーパネルだということで、どちらも吉永小百合さんのコマーシャルの印象が強い。液晶では世界の亀山と誇った巨大工場が足かせになっているようだ。コピー機とかクーラーとかは黒字で、中核部門の赤字を補完できるわけがなく、巷の噂ではコピー、空調部門を売り払うのではないかとの憶測さえ流れているようだ。そうなると赤字だけの企業になるかもしれない。赤字をなくすのであれば、むしろTVとソーラパネルを売り払うべきかもしれない。

集中と分散
結局のところ、集中と選択というのは長い目で見た場合には正しい戦略なのかを疑う必要はないであろうか?都市でいえばかつてテキスタイルで栄えたイギリスのリバプールとマンチェスター、今やイギリスの中でも衰退した都市の象徴である。社会学者で都市の歴史を研究で著名なジェーン・ジェイコブズはこうした一産業に特化した都市とより複合的な産業集積都市であるバーミングハムを比較して、より複合化した都市のほうが長期的には繁栄を維持しているとしている。企業についても同じことが言えるのではないか。

電機業界の覇者であったソニー、パナソニックの時代には日立、東芝という重電を屋台骨とする企業は常に後塵を拝していた。集中と選択を強化したシャープに対しても随分と見劣りがしたような気もする。そうした企業がいまや、数少ない黒字企業となっている。勝負は数年では測れない、100年生き残る企業はなかなかいないということかもしれない。


マネジメントコンサルタント、インベストメントバンカーでもてはやされ、企業が商品のように取引され、工場も切り身で売買され始めた頃から、その論理ベースとして使われたのがこの「集中と選択」であった。その少し前にもてはやされたのが分散によるリスクの最小化を唱える「ポートフォリオ理論」だったことを考えると、シャープの栄枯衰勢も経営哲学のサイクルのレガシーと言えなくもない。

基本に帰る
シャープのことを調べ始めて、初めて知ったのだが、金属製のシャーペンを開発し、その普及のきっかけとなったはシャープで、社名自体もそこに由来するらしい。社是は他社がまねするようなものを作ること。液晶TVはみごとにまねされて、存亡の危機に陥っているが、ぜひ「他社のまねできない」ものを作る会社に復活してほしいと願っている。

2012年2月20日月曜日

若者はなぜ反乱しないか?

若者はあわれ
今の若者を見ていてつくづくかわいそうだと思う。そしてじじいどもの悪知恵にほとほと嫌気がさす。バブル崩壊後、就職氷河期でキャリア、すなわち能力開発をする機会を奪われ単純労働者として歳を重ねた若者もすでに40代になろうとしている。本来なならば日本の経済をけん引する世代がその能力を発揮することなく生殺しのままである。その間、行政改革は遅々として進まぬまま、日本の財政は悪化の一途をたどり、2011年には国地方を合わせた債務GDP比率は200%を超えている。

財政赤字を解消するために震災直後にもかかわらず増税が既定路線となりつつある。増税のうたい文句は「将来の世代につけを残さないために」である。しかしながらこのレトリックには大きな嘘がある。 平成22年の社会保険庁の発表では、年金の納付率は約6割、4割の人が払っていない。もちろん、年齢階層別にみると年齢が上がるほど納付率が高く、若者ほど納付率が下がっている。若干古いデータではあるが平成19年のデータによれば、20-25歳代および 25歳ー30歳代の納付率は52%、56%である。現在はもっと下がっており、実質加入者は4割を切っているはずである。

  年金破綻
かつて年金破綻がかなり政府発表も含めて喧伝されたことがあり、その負のキャンペーンがこうした若者の低い加入率に大きな影響をあたえていると考えられる。2055年には65歳以上の老齢人口は全人口の40%を超えると考えられており、労働者2人で1人の老人を支えることになるという人口推計がそうした議論のベースとなっている。
  年金制度維持の奇策
解決策は何か?
これは筆者の勘ぐりであるが、あの一連の情報リークは加入者を減らすのが目的で行なわれた情報操作だったのではないかと思っている。なぜなら年金問題は将来の問題であり、今は十分に足りて、余剰金もある。つまり現在の問題ではないからである。年金は現在の世代の納付により受益者への支払がされるというのが基本であるが、不足分は国庫支出でまかなう仕組みとなっており、そのために消費税が少しずつ、あげられるというのが既定方針である。では未加入者はどうなるかというと、将来消費税によって、加入者の年金支払に貢献するのみで何も得られない。たとえ、不満の声を上げても、それは義務である加入を怠ったあなたの責任と切りすれられて終しまいである。

例え、老人人口が増えても年金受給者が減ればシステムは崩壊しない。例えば3割の加入率だったとすれば約8人の労働者が1人の老人を支えることになる。加えて消費税10%を年金に使うとしよう。将来のGDPは減少して300兆円だとして、そこからの上がりが約30兆円、人口は減って8000万人だとすれば、そのうち約3000万人が老人で、その3割、約1000万人に年金を支払わねばならないが、一人頭使える消費税は300万円もある。かなり楽勝でな感じではあるがいかがであろうか? 


若者はまず反旗を翻すべし
消費税の値上げ、年金制度の維持で誰が特をするか、その一番は公務員、次は大企業の社員と言うことになるであろう。一番割を食うのが、フリーターとか契約社員というステータスの人たちで、今の生活費の工面のために年金を払うことができないという人たちである。そういう人たちも、コンビニでペットボトルとおにぎりを買い、携帯で友人と口を交換するたびに、消費税を払い、老人の世話をすることになる。もちろん、現在の生活を作ってくれた先人が 年老いたときに世話をするのは現世代の義務ではあると思う。しかしながら、年金未加入の若者は年金制度を維持するために貢献しても、自身が老人となったときには、一人ほっぽり出されるのである。それでよいのか? 将来に付けを残さないというレトリックにだまされていいのか? 若者は早く目覚め、たちあがるべきではないか? 

2011年11月10日木曜日

現代国取物語

橋下知事危うし
今、日本にいないので実感がないのだが、大阪市長選挙で橋下知事が苦戦しているらしい。
それも自民、民主、共産まで寄ってたかって、落とそうとしているらしい。要は強引な
改革をつぶそうという既得権益の大集合、全くの呉越同舟状態のようである。
この辺りは ダイアモンドオンラインの岸博幸「TPPと大阪W選挙の共通点」
http://diamond.jp/articles/-/14810
にも論評されてる。

どちらかというと橋下知事は人間的にあまり好きではないが、やはり日本は地方から変えていくしかないのであろう。それには彼のようにちょっと無謀なくらいの活力のある人が必要だ。織田信長だって、決していい人ではなかった。むしろ、彼の傲慢さが天下統一を可能にした。よい人には改革はできない。暴君信長が倒れた後に、少なくとも太平の世は訪れた。同じように、橋下知事もいずれはさる。そのあとには改革された制度が残る。同じような人が九州、北海道と出てきてくれば地方も変わってくるであろう。


現代国取物語
地方行政改革といっても上から目線の道州制などさらに地方の活力を奪うことにしかならないと私は思っている。平成の市町村大合併で活力が出た都市があるのであろうか?要は、中央政府の都合でお荷物の僻地をひとくくりしたか、大きな都市に押し付けただけである。

ここからは私の夢想である。たとえば、県境は毎年見直しを県境の住民の自由意思に任せることにしたらどうであろうか。県境にいる人たちはどっちの件についたほうが得か考えて、住民投票で決めることにする。決断のカギになるのは福祉とか住民税、あるいは教育などの公共サービスの水準ということになるであろう。つまり払っているお金に対してよりお得な県に入ったほうがいいと考えるようになる。他の県の都市に触手を伸ばす方はおそらく税収の上がりそうな都市を取り込もうとするであろう。そのためには、その周りの田舎の村も取り込まなくてはならないということになる。たとえば、広島県福山市などは工業都市であるが、岡山と広島の境にある。岡山としてはこれを取り込めば、かなり産業を取り込むことができる。

笑顔の公務員
例え、攻め込んでいかない、守りに徹するとしても、しっかり守るためには、住民の支持が必要、そのためには節約に励み、公務員も住民に笑顔を振りまいてサービスする必要がでてくる。それだけも住民は随分と得するというものだ。郵便局だって、民営化されるという話が出たころからずいぶん愛想がよくなった記憶がある。人間、落ちると地獄と思うと自己改革ができるようになる。安泰という気持ちが自己改革を遅らせる。

政治劇場復活
たとえば、港湾都市としてすっかり凋落した神戸・兵庫であるが、混乱する大阪府の北西部、豊中市あたりから攻略したらどうであろう。関東は東京の圧倒的な財力のもとに切り崩しは難しいであろうが、これまで、東京の場末に甘んじいた、神奈川、埼玉、千葉がその劣等意識を一掃するために関東連合を立ち上げ、徐々に切り崩して最後に石原王国は皇居中心の千代田区を残すのみとなったりして、石原知事が「皇居落城は絶対に回避する。」と叫ぶ姿を想像したりする。勝手な夢想には際限がない。

日本国取物語が復活すれば、マスメディアにも格好のネタができ、言葉狩りなんてつまらないことで発行部数を稼ぐことはしないであろう。混沌からしかエネルギーは生まれない。

2011年10月21日金曜日

下町ロケット:新しい産業は中小企業が作る

下町ロケット
下町ロケットはご存じ直木賞小説である。どんな結末が待っているかも、大体想像がつく。人物設定も受けそうな設定、悪役と悪っぽいが実は最後は味方とか魅力あふれる人物がちりばめられている。とはいえ、案の定、比較的単細胞な私は最後あたりは滂沱の涙ながら読んだ。主人公の直面する問題は経営に携わる者ならば、うなずきたくなるものばかり、資金繰りに、従業員とのコミュニケーション、できているようでできていない。大企業の官僚的な対応、横柄さ。それを乗り越えねば商売もない。そうそう、と思わずうなずくことばかり。
零細・下請けのイメージ
日本で中小企業というと大企業の下請け、つまりは縁の下の力持ちというイメージが定着している。よってそこにはどこか
わびしさが漂う。しかし、エコノミストのスティグリッツもいうように、新しい雇用を作り出すのは中小企業なのである。大企業はリストラをし、下請けにコストカットを要求するだけなのだ。それは先が見えているからである。新しい企業は最初は当然中小企業、だから小回りが利く、つまらない管理はしない。要は無駄が少ない。コンプライアンスなぞ知ったことではない。それが新しい環境に適応する力となるのだ!

起業率・廃業率
ところが日本では廃業率が企業率を上回るという事態が80年代後半から続いている(中小企業白書2010)。また、日本の企業率は2001-2004年は3.5%、2004-2006年はもちかえして5.1%となったが、廃業率はその間、6.1%、6.2%と確実に日本の企業ベースは縮小しているのである。一方米国、フランスなどを見るとどこも起業率は10%を超えている。つまり、産業の新陳代謝がよいのである。

もとは皆、中小企業だった?
今、市場価値世界一位の企業であるアップルも始めたときは零細企業。2人の若者が始めた企業である。マクロソフトも、グーグルも一緒である。アップルとマイクロソフトの創業者はどちらも大学中退者である。いわば、既存の枠にとらわれない無手勝流の若者が世界を席巻したといっていい。日本にもかつてはソニーの森田、本田の本田宗一郎というゼロから世界企業を作り上げた人たちがいた。しかしそういった若い企業が輩出しているという話はきかない。楽天も、ソフトバンクも素晴らしいと思うが考えてみればドメドメ企業である。あえて言えばユニクロ?しかし、イノベーションで世界に出ているわけではない。もともと日本は財閥系の大手ががちっと支配するお上しはいのこうぞうである。そのルーツをたどれば政商だったり、国策会社だったりする。彼らの経営が官僚的で、創造性に欠けるのはそのルーツの性であろうか?そうした企業がいまだに経団連とかで業界を牛耳っている限り、中小企業が出ていく余地はなかなかうまれない。

韓国の躍進
撮りためていたNスペ、昨年10月の「緑色戦争」(2010年11月14日)をみた。番組では韓国政府の第二のサムスン計画として環境技術に政府が真剣に取り組む姿と日本の大阪の中小企業が中国進出で苦渋の思いをしている姿を対比している。中国のしたたかさはさておき、韓国企業が政府の支援で受注を獲得、方や革新的な技術デモってしても越えられない価格の壁にぶつかり、現地委託生産の選択をした時のインタビューの社長の不安にみちた虚空をさまよう目には憐憫の情さえ感じさせられた。きっと丸裸にされて儲けもなく中国から帰っていくのかと。
新幹線、原子力と重厚長大の輸出を模索する日本に比べて小回りの利く中小企業の海外進出を助ける韓国企業、その戦略性のスタンスの違いに唖然とした。

日本復活のカギ
日本復活のカギは元気な起業家が輩出できる環境を作っていくこと言うことになる。最近、経産省を退官した古賀茂明氏は
その著書「官僚の責任」ではトヨタのような下請けに甘んじていては将来はないとまで言っている。トヨタは下請けから絞り上げることで巨大な利益を出しているが、下請けにはまったく利益が残らないようになっている。利益なしに将来の成長はないともいえる。またトヨタが国内の生産をやめる、あるいはトヨタがコケれば、下請けもこけてしまうことも遠い将来の話ではないかもしれない。

日本にはJETROという経産省の外郭の輸出促進組織がある。現在はあまり知らないが、20年以上前にお付き合いがあったころにはおもにMITIの出先機関として接待とお出迎えに忙しそうな組織であった。独法化できっとよくなったかとはおもうが、あまりに輸出超過が続いたので一時は輸入促進までやっているという本末転倒を起こしていたが、この組織を解体するなり、独立させるなりして、輸出促進を再度見直さないと、早晩日本は韓国、中国に輸出市場をあらかた取られるであろう。今は国を挙げて輸出企業の育成に合理的精神で臨んで勝機をつかむ最後のチャンスかもしれない。

2011年9月20日火曜日

スローライフの経済成長論

今回の震災の後、ネットででは、多くの人が、これまでの多消費型の経済からの脱却を訴えている。この夏の節電も別に15%程度、電気を使うのを控えても別に生活に困らなかったという向きもあるであろう。無駄な消費をしなければ、エネルギー消費も少なくて済む。ならば原発を止めてもいいだろうという論理が、反原発、スローライフ派の人たちの主張だ。しかし、江戸時代の「倹約令」のような節約を政府が政策として打ち出したりすることはない。これ以上景気が冷えると、ますます、失業者は増え、税収も落ち込むのを危惧するからである。震災の後、花見とかコンサートを自粛する動きが出た時も、景気の後退が復興を妨げるという意見が結構あった。確かに皆で節約するとGDPも減ってしまう。

このジレンマを解くカギは、これからの日本の行く末を考えるうえで重要である。経済は単純化したほうが分かりやすい。
ある南海の孤島の人口10人だけの経済を想像してほしい。そのうちの5人は農業で食料を生産している。もちろん食料は10人が食べてハッピーな量だけしか生産していないはずだ。なので需要と供給はぴたりと合っている。しかし、ある時この村の知恵者が島の経済を研究したところ、この島の人たちはメタボでそのために成人病が多く発生しているということが分かった。更には、生産した食べ物も管理が悪く、多くがネズミに食べられたり、腐ったりして生産物の4割が無駄になっていることが分かった。村議会ははカロリー消費20%低減のメタボ撲滅作戦、20%水準への無駄低減を政策として打ち出した。さて困ったのは農民である。この政策が実現すれば、生産はこれまので60%で足りることが明らかだ。一部の農民はこの新政策は経済を疲弊させるといって反対運動を計画し始めた。

ここまでは日本の原子力村と農民は同じ精神構造であることはお分かりであろう。自分の狭い利益に目がくらむとそういうことになる。ところがこの島の人たちはもう少し賢かった。農民の指導者が消費が減ることを歓迎しようと提案したのだ。彼はこういった。これまで人口の半分が食べ物を提供するのに早朝から日没まで働いていた。生産する必要量が減るのだから、まずは皆、働く時間を減らして日暮れ2時間前に仕事をやめることにしよう。これで先ずは2割の減少を雇用を減らさずして達成することができた。しかしながら、農民の所得は当然ながら2割減ることとなった。農民の反発はあったが、彼は農民たちにこれまで無駄な労働をしてきたこと、余った時間は本を読んだり、家族の世話をすればよいと説得したのだった。

早く帰宅して時間のできた農民の中にはその時間で知恵者のところへ行って、勉強する者もあらわれた。そこで一人の農民はメタボについて勉強をし、ダイエット教室を開くことにした。その結果は島人の健康は大幅に改善し、病気で仕事や勉強を休むものが激減した。平均寿命も延びて長期的には労働力も増える好結果となった。

次にはもう一人の農民が新しい蔵をたてて食物管理業に乗りだした。この蔵は厳重に分厚い壁で作られているので、ネズミの侵入を防ぎ、温度を一定に保つことができ、無駄の削減をほぼ0まで減らすことができることが分かった。この農民の倉庫業への転出で農民は3人となった。計算の得意な方は農民は昔通りに働いたら、2.5人しか必要がないことが終わりのはずである。さてどうするか、3人の所得を落として雇用を守るのかまた判断の分かれ目だ。単純な雇用確保は長い不況と新興国の追い上げで、実質賃金の切り下げで対応してきた日本と同じ道である。しかしここでも島民は違う道を歩むこととした。村の知恵者の助言で、一人は食料生産をやめて、薬草栽培に乗り出した。島の健康ブームもありこれは大きな所得を生み出すはずである。残った農民2人も知恵者のところに行き、水牛の導入による耕作効率の向上を目指すことを決めた。
これにより2人でも生産が達成できる。2人は将来を見越して、消費がさらに減っても所得が下がらないように、より収量の高い品種の導入を研究している。これが達成できれば、最後は農民一人で島全体の食料を賄うことができるはずである。

節約で島の経済は縮小したであろうか?もちろん答えはNOである。生産性の向上と新しいサービス業への転出で高い収入を得る職種ができたことにより所得は向上する。村人は以前にはなかった豊かなスローライフを満喫している。もちろん知恵者のところには助言のお礼にいつも贈り物が送られてきているはずだ。陳腐な経済用語でいえば、「生産性の向上」と「高付加価値産業の創出」が鍵ということになる。あともう一つ考えるべきことは雇用を守ることは重要であるが、個々の産業で守ることは全体の利益にならない、ましてや一企業の雇用を無理やり守ることは社会の生産性を停滞させることになりかねない。今の日本では製造業は厳しい状態におかれている。若者の失業率も高い。その一方で看護婦、介護士とかは不足している。児童の保育所も足らない。人手は一方で不足し、一方で余っている。

スローライフの普及と経済の成長は両立するか。上記の島の例を考えていただければYesといえるかもと思っていただければ幸いだ。だたし、それには労働市場の正しい意味での流動化が必要だ。多くの人が単純労働者ではなく、高付加価値を生むプロフェッショナルになる必要がある。新しい産業を興すための支援も必要である。新しい雇用を生むには規制緩和も大事だし、教育制度も変える必要があるであろう。ひいていえば、社会全体としての知恵を出す仕組みの構築が重要となる。まずはこの島の例のように遠い将来を見越した知恵者が必要なのかもしれない。この島のように皆が前を向くのは難しいですか?皆が後ろ向きで、今の仕事にしがみついていて経済が伸びないとこぼしていて経済が伸びるわけはない、とは思いませんか?

唐突ですが次回にはこの島の国債(島債?)問題について考えてみたい。

2011年9月17日土曜日

日本マスメディア向上計画

日本のマスメディアをどうしたらいいのか?先ごろの経産省大臣の舌禍事件でますます暗澹たる気持ちになってきた。昔、昔、私が就職したばっかりのころ、友人がとある大新聞に就職した。彼の話によると、まず新聞記者は夜討、朝駆が基本でともかく、担当の政治家について回るのだという。自分の書いた原稿は校了した後も印刷にかけられる深夜まで待機するというとのことであった。いつ寝るのと聞けば、車とかの移動中ということだった。という彼は、酒を飲みながら、寝込んでしまった。

現代のように変化の激しい世界では常に新しい知識を勉強しなければ時代から取り残される。寝る時間もない記者が本を読んだりして勉強する時間はあるのであろうか?おそらくないであろう。一方、記者クラブに出入りできるメディアは、官庁の大本営発表をそのまま流せば、とりあえずは紙面は埋まり、TVの時間は稼げる、何もしなくても日々の糧は稼げるわけである。となるとますます勉強することはなくなるのは人間の性である。しかしそんな報道ばかりでは読者も飽きてくるので、時たまスクープを打つ必要がある。その恰好の題材がスキャンダルであるが、昨今は愛人を囲うような度量のある政治家も少ない。となれば、金の問題か、失言ということがよいシノギになるということではないか。まして首相の首を取ればきっと報奨金くらい出るのであろう。日本の首相がころころ変わるのは彼らの力が弱くなったこともあるであろうが、メディアの読者、視聴者確保の営業材料に具されているだけである。漢字が読めないとか、英語を間違えたとか、低俗なアラさがしでまずは下地を作っておいて、より大きなミスでドカンと落とす。あとは仕上げを待つだけ。メディアはいつから首狩り族になったのであろうか?ただ、それを喜んでいる国民がまだいるとしたら、新聞紙にくるんで捨てるべきである。

もう一つの問題は、ウルフォンセン等の外人の政治学者がよく指摘している点であるが、日本の記者は政治の情報を国民に伝えることではなく、政治を動かすことを動機として仕事をしているいう点である。ナベツネとかはキングメーカーとして有名であるが、自分が祭り上げるのに関わった総理大臣のことについて客観的な報道ができるのか?答えは小学生でもわかるであろう。しかし、政治にかかわりたがっているのはナベツネだけではない。個人的な経験では、ある勉強会で、NHKの記者が、大臣をはめた話を披露しているのを聞いたことがある。自分の推し進めている福祉改革に対する質問に半分ひっかけで、大臣から言質を奪った経験を得意げに話していた。確かに多くの人が彼女の進める方向性は正しいように思ったのだが、そのために報道はゆがめていないのか?われわれは真実を知っていたのか?という疑問が残る。

今回の原子力村騒動で、自分自身の原発の知識の貧弱さに愕然とした。同時にマスメディアの歪みを多くの人が認識するようになったのはよいことだったと思う。われわれが愚民であるとしたら、その判断能力を問う前に、まずは正確な情報が得られているかどうかを問わねばならない。いっそのこと新聞、TVを見ないという運動もいいのではないかと思ったりするが、そうすると経済的に困窮して彼らはますますイエロージャーナリズムに走っていくであろう。

解決策はまずは記者クラブを廃止すること。次は新聞社等が証拠の整備をすすめるように多くの人が名誉棄損で訴えられるようにしたらどうであろう。なかなか妙案はない。有徳の金持ちが出資してスキャンダルは大きく取り扱わない、政策を取り上げるということを社是にするメディアでもつくってくだらないメディアを淘汰するしかであろう。

トマス・ジェファソンは出版の自由の必要性について、1787年に「新聞のない政府と、政府のない新聞のどちらをとるか、もしその判断を任されたなら、私は,瞬時のためらいもなく、後者を選ぶだろう」という有名な言葉を残した。そう思えるメディアが一つでいいからほしい。

2011年9月4日日曜日

「原発論争」と「夫婦ゲンカ」の相似性

とある中小企業経営者の一家の台所のシーン。
近年の不況で会社の経営は青息吐息である。疲れた表情で帰ってきた夫に奥さんが畳み掛ける。
妻:「ねえ、あんたまた飲んで来たの?」
夫:「仕方ないだろ。営業なんだから!」
妻:「お酒飲んで午前様ばかりじゃ、命を切り売りしているようなものじゃないの?あなたはいつもお金、お金と儲けの話ばかりだけど、健康あってのお金でしょう?子供の教育は全部私に押し付けて。子供のことは心配じゃないの?」
夫:「毎日営業で駆けずり回ってもなかなか契約も取れない。借金を返したら、今月の給料が払えるかどうかさえ危ういところなんだ。、今度の営業を逃すと大変なことになるんで必死なんだよ」
妻:「今のうちに商売替えでもしたらどうなの?たとえば介護とか、今後伸びるような分野に乗り出すとか?」
夫:「そんな、そんな不慣れなことに手を出しても、すぐつぶれちゃうよ。今はともかく生き残りで必死なんだ。」
妻:「会社なんてつぶれても家族さえしっかりしていれば何とかなるわ。いざとなったら私の実家にひきあげたっていいし。」
夫:「今まで贅沢ができたのは誰のおかげだと思ってんだ?生活レベルを落として家族が満足するとは思えないよ。」
いつまでたっても議論は平行線のまま、やがて家族内不信の渦はどんどん拡大していく。

中小企業を「日本」、接待営業は「原発」、夫は「経団連+経産省」、妻は「自然エネルギー推進市民団体、そして子供もつ全国のお母さんたち」に置き換えてみると、今の原発論争の構図ではないかと思う。

新興国の追い上げ、そこに加えての円高による日本企業の海外移転の加速、風評被害による輸出の落ち込みなどなど企業を取り巻く環境は大変に厳しいものがある。それに追い打ちをかけているのがこの夏の節電、そして電力料金の値上げ問題である。日本に競争力のある企業は残るのか?

企業は基本的に金の流れが止まるとあっという間に死に絶えてしまう。大口の契約をなくしてしまえば、企業の生命など数か月の運命である。収入なしに1年も持つような余裕のある企業などまず存在しない。日々の稼ぎが企業の生命線である。したがってともかく電気をくれ、何とか客先を日本においておいてくれということになる。一方、子供を育てる母親たちは、子供の将来という20年先、いや一生が視野に入っている。子供が何をやっていてもいい、金持ちでなくてもいい。健康でさえいてくれればと願うのが母親というものであろう。したがって原発何という危ないものは許容の外である。

目先の稼ぎ(しのぎ?)で頭がいっぱいの夫と何十年先のことを考えてる妻の間の議論はかみ合うことがない。以上はNHKの新生日本という番組のエネルギー討論を見ながら、これはいわゆる互いの立場を理解しない夫婦げんかに近いという感想を抱いて思いついたことである。

では解決策はあるのであろうか?喧嘩には仲裁が必要であろう。双方が相手の立場を尊重する態度しか
あゆみよりはない。原発再開も新しいもの、活断層から離れている安全性の高いものははとりあえず再開容認、その代り、今稼働する古い玄海一号などは停止と、合理的な判断をすべきである。さらに福島の事故調の結果をみて停止の是非を考えればよい。そうした道筋をちゃんと国民に確約すれば、反対派も説得できるはずである。

そして仲裁だけでなく、目先しか見ることができない夫=経済界には、手を差し伸べる必要がある。環境、医療、放射性廃棄物の除染、介護、再生可能エネルギーなど、あらたな糧を得る方法を支援できれば目からうろこで新しい商売にもチャレンジする意欲がわいてくるというものである。

そのために一番合理的なことが規制緩和と起業支援である。たとえば地熱、国立公園での開発は難しいが景観修復を条件に許可を積極的におろせば、国の予算は必要ない。たとえば、放射性物質の測定、アイソトープセンターの児玉先生の言われるように日本の画像技術と測定技術を用いれば世界に冠たる産業になるであろう。たとえば、ロボットの除染への応用などいくらでも新しい仕事は創出しうる。仕事を作るための規制緩和、安全な生活を確保するための規制を組み合わせることで雇用も創出できるはずである。

調停をし、めんどうみのいいおじさんに野田政権がなれるかどうかに脱原発の行方も日本の産業の行方もかかっている。

2011年7月31日日曜日

官僚制度は社会の癌?

連日東京新聞が経産省、保安院の非倫理的な組織行動について追及を続けている(2011.7.29現在)。経産省のTwitter, ブロガ―の情報監視に続き、中電、四電でのやらせ公聴会指示問題と追及の手は止まない。完全にバイアスのかかった原発ありきの情報操作を行ってきたことが白日の下にさらされることになった。政府は保安院を分離することだけで乗り切るのかきわどいところまで追い込まれ始めている。

異端のエコノミスト、シュンペーターは資本主義の強さの源泉は市場メカニズムの破壊力にあると看破した。社会に不適応を起こした企業、製品は市場から淘汰されることにより、新しい産業、製品の創造の契機となるというものである。どんな老舗の企業でも社会環境の変化についていけなくなれば、商品が売れなくなり、最後は倒産する。倒産することは多くの不幸な失業者と家族を生み出すという悲劇を生む。しかし、倒産は個々の企業にとっては悲劇であるが、資本主義社会全体では必要不可欠な仕組みである。社会のニーズに合わなくなった企業を市場から退出させることにより、無駄な資源が使われることを最小化することができるようになる。不要な組織を抹消することで新たな組織=企業が生まれる素地を用意することになり、産業全体の活性化が図られていく。生物の種においての個体の死とあるいは生物個体と細胞の死と関係資本主義経済における企業の倒産は同じ関係にあるといってもいい。個々の死があるから種としてあるいは一匹
の生命の健全性が保たれる。企業の死は必ずしも社会にとって悪いことではない。

同じように民主主義という政治機構は選挙民の支持を失った政治家を瞬くまに政治の舞台から抹殺する破壊力を持っている。どちらも小規模の破壊を常に繰り返すことで経済、政治体制全体の鮮度を保つという機能を持っている。前近代的な社会は、破壊-改革とう機能がなかったため、破滅寸前まで社会全体が衰退し、革命を持って再生が始まるという犠牲の大きいものであった。しかし、現在でも決して死なない組織がある。官僚組織である。

一度作られた官僚組織は容易にはなくならない。生物学的に言えば「癌細胞」に似ている。通常の細胞はアポートシスと言って傷ついたり、不要になったりすると自殺するプログラムが埋め込まれている。癌はそのアポートシスによる制御が効かなくなったために増殖し続け、細胞の母体全体の生命を最後は奪い取る。官僚組織も増大化のみを自己目的化した組織であり、自分自身でその存続に終止符を打つことはない。

国民的の視野からすれば本来不要になった官僚組織は廃止にすべきである。まして反社会的な行動をとった組織を温存するのは犯罪的でさえある。基本的に公務員が政策を誤って、国民に被害を与えても官僚個人は免責される。情報隠し、詐称、やらせを行っても官僚組織が責任を追及されることもない。検察は民間組織を挙げても公的組織を背任行為として訴追することはない。政府機関が政府のあらさがしをするのは自己否定であるからであろうか。今回の原発事故の原因も経産省と保安院、更には文科省、原子力安全委員会といった組織の罪が大きいのは明らかである。原発推進のために耐震基準、事故調査、建設許可すべてで手抜きをしていたという指摘があるにもかかわらず、メディアの官僚組織の責任追及の少なく、議論はとかく政治家と電力会社に集中しがちである。


現代の経済はIT技術の急速な進歩、グローバルな企業間競争の激化とその変化のスピードは加速する一方である。日本が世界の経済覇権を握るのではないかと畏怖されたのもほんの20年前である。いまや韓国、中国の後塵を拝して日本の経済は今や窒息寸前である。日本企業の必死の生き残りを傍目に綿々と古色蒼然した組織を維持することのみ注力しているのが官僚組織である。現在、公的部門の影響は公共事業、社会福祉など直接的な関与のみならず規制、認可と実体経済のほとんどに及んでいる。日本経済の生産性を高めていくには、行政の生産性を高めるしかない。なぜソ連の共産主義はほろんだのか?イデオロギーは別として、共産主義は基本的に官僚が資源の配分を決定する仕組みであるからだ。官僚組織は滅びない、不要なものも生き続けるために、資源の無駄遣いが続く。その一方社会のニーズは変化するので新たなサービスを提供するには新たな官僚組織が必要となる。古いものを消さずに次々と新たな官僚組織を付け加えれば社会の生産性は次第に落ちていく。現在の政府の予算は特別会計を合わせると200兆円を超えている。GDPの半分近くが官僚組織の裁量で決定されているわけである。日本は半分共産主義の国といっても過言ではない。


官僚組織のラジカルな破壊と創造を行うには強い政治力しかない。民主党の政治主導はまさにそれを目指したはずであるが、現実には完全に官僚の言いなり状態に陥っている。今回の福島の悲劇は日本人に、日本の危機を自分自身で救うことができるのかという真摯な問いを投げかけた。私は政府自体の抜本的な改革は避けて通れないと思ったが、結果はかなり悲惨だ。国民も菅降ろしの政争劇に目を奪われて問題の本丸を見逃している。リーダーさえ立派だったら政府がどうにでもなるという幻想に惑わされている。一つにはメディアの報道力がないため、個人責任追及型の報道しかできないからである。もう一つは日本には大学を含めて、真の政策検証能力がないからである。まずは福島原発の責任を官僚個人ではなく、組織に負ってもらう必要がある。大胆な官僚組織の廃止、まずは原子力保安院・安全委員会の廃止が第一歩であろう。

2011年7月28日木曜日

「将来の世代につけを残さないための増税」の嘘

バブル崩壊の後、日本の財政は悪化の一途をたどり、2011年には国中央を合わせた債務GDP比率は200%を超えている。そして現在、震災直後にもかかわらず増税が既定路線となりつつある。増税のうたい文句は「将来の世代につけを残さないために」である。しかしながらこのレトリックには大きな嘘がある。そのからくりを見てみよう。
まず国債の解消には2つの方法がある。基本路線は増税により財政バランスを黒字に持っていくこと。もうひとつは一部のエコノミストが提唱するリフレーション=軽度のインフレーションである。リフレーションは現在のデフレを打ち消し、経済を活性化するのが主眼であるが、同時に国債の実際的価値を減じてくれるので政府は債務削減もできる。この方法は増税のような直接的な痛みを伴わない等のメリットはあるが、インフレーションは市場の機能を低下させる、投機を誘発する、ハイパーインフレーションになれば経済麻痺を引き起こす可能性があるなどのリスクも多々ある。当然のことながら通貨の番人の日銀が最も嫌う策である。ここまでは一般常識的解説であるが、この2つのオプションには実は世代間の所得の移転という側面を持っていることを見逃してはならない。
総務省の「家計調査」によれば平成22年度の2人以上の世帯において世代ごとの貯蓄額は次のようになっている。


単位:万円/世帯
平均 30歳未満 30~39歳 40~49歳 50~59歳 60歳以上
1244 274 624 1082 1585 2173

当然のことながら老人は若者の10倍近い資産を持っている。

リフレーションは日本を支配する老人層にとって不都合である。国債だけでなく、自分達が所有する現金・預金などの金融資産が目減りするのだ。例えば、年に8%のインフレを起こしたとしよう。その場合単純計算だと、現金は9年で半分の価値になることになる。更に時間の経過とともに目減りは進行する。他方現在のデフレ(1%)は約1割の価値の増加ということになる。インフレが始まるとそれに伴って金利も上昇するが、普通預金がインフレ率を上回ることはない。もうすぐ年金生活に入ろうとする年齢層にはこれはとても不安なことである。年金制度も破たんする可能性も高い現状で、老後の快適な生活を守るには自分の金しかない。他方、増税というのはどういうことか、消費税が20%まで高くなった場合でも、現在の金融資産の購買力は20%減ることになるが80%の購買力は担保されることになる。デフレと合わされば、購買力は10%程度減じるにとどまる。これは老人に都合がよいわけだ。他方、これを若者の視点で見るとどうであろうか?増税は若者の生涯に渡って課税されることになる。リフレーションの場合はどうであろう。少なくとも所得はインフレ率に応じて増加すると予想される。他方、若者の金融資産は少額である。したがって資産の目減りが将来の経済活動を影響することはない。
いま議論されている「社会保障と税制の一体改革」というのは実は「これからの老後を保障するための自己中改革」ではないかと思っている。累積債務も年金破たんも若者に責任はない。しかし、デフレを続け、増税により財政バランスを達成し年金制度を守っていくことは将来の世代を老人の奴隷化にすることにならないか。若い世代はもっともっと政治に関心を持たねばならない。

2011年7月5日火曜日

原発の安全・危機管理体制の構築

現在福島原発の現場では東電の現場職員が必死の思いで収束に当たっている。汚染水が溢れないようかつ原子炉を冷温停止に持ち込むための努力は我々の想像を絶する戦い。東電という会社に現場を仕切るそれだけの人材がいたことは日本にとっては不幸中の幸いであった。とはいえ、3月12日からの原発の関連の報道をみて、最初に起こった疑問は「日本には原発のシビアアクシデントに対応する特別組織というものはいないの?」という疑問である。オームの地下鉄サリン事件の時には化学テロ対策班のようなものが出っ張り、さすがに万が一の体制はあると一応の敬意を国に持ったものだが、今回は、まるで火事になった一般人が119番をしているがごとく政府はあたふたしていたというのが私の印象である。NHKスペシャル「なぜ原発事故は深刻化したか」でも福山官房副長官は事故当日、彼は必死に電源車をかき集めていたと証言している。政治家という技術的にも危機管理も素人がたまたまその場にいたからと言って現場責任者になっていいのであろうか?政府はすべてが初めて、まにあわせ、はっきり言って私の方がましな指揮を執れると思った方は日本に多くおられるであろう。これは一部菅首相と民主党の責任であろうが、ひょっとすると原発事故という想定外の危機に対する体制はなにもなかったのではないか?政治家は判断を下すリーダーであって、情報を収集、分析、代替案を提示する専門家ではない。そんなすべての知識があるわけはない。更に懸念するのは将来ありうる他の国レベルの危機に関しても官邸がトップになれるだけの情報収集分析、資源を瞬時に配分するシステムがこの国にはないのではないかと、危惧する次第である。

3.17、自衛隊は原子炉向けの放水車もヘリも持っておらず、とりあえず山火事を消すがごとく、ヘリで二回だけ散布した映像には世界中を落胆させた(もちろん、そのヘリの乗組員とか自衛隊を責めているわけではない)。放射能汚染水が出始めると、現場はおがくず、新聞紙まで突っ込んで対応しようとした。もちろんこれは何の役にも立たなかったのであるが、地下水汚染の民間専門家を招集する組織さえも政府にないことがいかにも稚拙に見えた。現在行われている汚染水の冷却循環システムの構築においても、原子炉冷却と調整する必要はあるが、東電の現場に負担を減らすように別組織でもできたはずだ。

災害対策体制はどうあるべきかという議論が何もわき起こらないのはなぜなのか?補正予算には福島対応の予算が入っているようにも見えないのは、東電といういわば事故の当事者に、収束を全部ゆだねるのが筋ということなのであろうか?今後とも各電力会社のベストエフォートベースで事故対応を期待するのか?要は政府は国難と言いながら、東電に全責任を負いかぶせるためになにもしないだけなのか?であるとしたら、誠に無責任な政府、(政治家+官僚組織)に我々は国民の安全を預けていることになる。今の政府がそうであるならば、それは早晩つぶしてでも、国がはっきりと責任をとるシステムを作ることが必要である。

福島を何とか収束させたとしても、残りの原発も不安である。福島が壊れた後、次の事故はもうないのかというと、週刊現代今週号の報道では,玄海1号、美浜1,2号、大飯2号、高浜1号機と中性子被ばくで老朽化、脆性破壊の可能性の高い原発がごろごろしており、伊方原発も中央構造帯の真上と活発化する知地震大国日本は多くのリスクをはらんだままである。全部止めたとしても長期に崩壊熱を燃料棒から除去するために厳重な管理が必要な原発には絶えず放射性物質拡散の危険がついてまわる。であれば、次の原発災害の対応組織も整備する必要がある。金のない政府には頭の痛い話であろうが安全があっての繁栄、優先度は高いはずだ。まず、原子力保安院はつぶすべきというのは前にも書いたとおりである。おそらく原発災害・テロ対策隊を自衛隊の姉妹機関として作ることがまずは必要ではないか?もちろん、この組織は保安院のように事故が起きた場合に伝書鳩になるのではなく、現場に急行し現場で対策組織を電力会社のオペレーションチームと立ち上げる能力を持たせる。普段のシュミレーション・訓練でも常に電力会社と合同演習を行う必要がある。また、現場の主だった所員がいなくなる、機能できなくなるという事態も可能性がなくはないのであるからどのようなシナリオも考慮済みの体制が必要である。災難を糧とするならばそれくらいの組織再構築は必要ではないであろうか?

災害に至らなくても人災によりこれまで原発は多くの事故を起こしている。保安院は独自に事前技術認証する能力も事故対応する能力もなく、事故を客観的に調査する能力もない。基本的に書類審査機構である。違反に対して取り締まるいわゆる警察力(英語で言うところのEnforcement)もない。米国で法律において規制を行う場合には通常Enforcement 体制を付与するが、日本では口頭注意で刑事罰を与えることはまれである。しかしながら、原発のように多くの国民の生命を危機にさらす可能性のある施設・組織を規制するには警察力がなければ実効が上がらないということはこれまでの事故で公然と情報の隠ぺい、改ざんが行われてきたこと、過去の教訓から日本の原発の安全がどの程度改善されたかということを見れば自明であろう。つまるところ自衛隊のような機動力と警察のような普段の取り締まりが必要というのが原発という特殊な発電組織に対して必要といえよう。

新保安院は自衛隊の特殊部隊的な危機対応能力と、警察的な安全遵守の監視の双方の機能を持たせた強力な組織であるべきだ。悲しいことに脱原発にせよ、原発継続にせよ、使用済み燃料棒と放射性物質がある限り、こうした特殊組織がなければ国民の安全は担保されない。事故調の分析からそうした組織体制への強化が出てくることを望んでやまない。

2011年7月1日金曜日

原発長寿国ニッポン

日本が世界に唯一最先端を行く高齢化。皮肉にも原発もそれに歩みを合わせている。他の国々が
普通20-30年で廃炉にするところを日本だけはいつまでも使いまわそうとしている。日本には30年を超える原発が19機も運転されている。
世界に胸を張って「モッタイナイ」と「敬老精神」の発露と言えないところが悲しいところ。
結局のところ、日本の原発は多くの老朽化原子炉が太平洋のRing of Fire 火山帯という最も危ない場所に最も頼りない原子炉が林立している状態だ。

原子炉の圧力容器はスチール製であるが、長期使用すると炉内で発生する中性子でぼこぼこになり脆くなってくる。通常は原子炉は300度前後の温度で運転さえれているが、急激に冷やすとぱっくりとお釜が割れる危険がある。この割れる可能性の温度のことを脆性遷移温度という。新品の原子炉はマイナス10度以下でしか割れないが、それが玄海一号機になると今は98度までこれが上昇しているという結果が九電の検査で明らかになっている。

原子炉に問題があった場合には緊急冷却装置が作動し、熱暴走を防ぐのが最も重要な対策であることはすでに広く知られていることである。福島第一の場合にもECCSは作動したが、作業員が手動で停止している。
http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY201105170193.html

なんでそんなことをしたのかといぶかしく思った人は多いだろうが、報道ではこれはマニュアル通りの手順としていた。福島第一という老朽化した原子炉の脆性破壊の危険性を考えた場合にはこれはきわめて正しい。福島第一の一号機は39年、二号機は36年、三号機は34年選手である。72年以降のデータがないがその時点ですでに50度を超えた脆性遷移温度が報告されているから、現在は玄海と同じような状況だったのかもしれない。つまり、福島は冷やさなければ、メルトダウン、冷やしすぎれば、原子炉崩壊という難しい綱渡りの緊急事態対応だったということになる(今の状況は不運ではなく、原子炉崩壊とか、水蒸気爆発が起こっていないだけ、とても幸運なのかもしれない)。

この老朽化については原子力情報資料室の以下を参照されたい。
「原子炉の照射脆化、脆性破壊に関する検討」
原発老朽化問題研究会
http://cnic.jp/files/roukyuuka20110312.pdf
前回も玄海一号機の危なさと老朽化原子炉廃炉について書いたが佐賀新聞も取り上げている。
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1968174.article.html
ということで、是非にも老朽化した原子炉の停止を次の課題としては我々は取り組まねばならない。
その妥協策として書いた「2開1停のすすめ」もぜひご批判いただきたい。

2011年6月29日水曜日

原発を再開すべきか?=2開1停の暫定的再開・停止基準のすすめ

最近海江田経産大臣は原発の再稼働を促しているが、これは経産省と産業界の短期的な利害を代表するだけで国民の安全を守る政治家のトップとしての資質を疑わせる言動である。福島原発は津波による全電源喪失の前に地震によって既に主要な配管等に破損があった可能性が高く、その意味において現在の耐震基準で補強された原発の安全性は未だに確保されていない。不確実性の高いものを安全ということは1000年に一回の津波を無視する以上に無謀であろう。筋論からいえば、事故調、安全基準の見直しが終わるまでは原発の再開は大きな不安要素を抱えることになる。一方、事故調、現在の基準の見直しが終わるまでは、何も運転できないとなると電力不足で原発推進派のみならず、日々の営業に汗を流す産業界からも電力の安定供給に不安の声が上がるであろう。
となれば、まずは暫定的原発再開・停止基準を設けることが現実的な妥協策ではないか?古い原発、活断層に近いリスクの高い原発から優先的に停止指示を与える一方で安全度の高そうな原発から運転を再開するのはどうであろう。週刊現代先週号の報道では,玄海1号、美浜1,2号、大飯2号、高浜1号機と中性子被ばくで老朽化、脆性破壊の可能性の高い原発がごろごろしているらしいし、伊方原発も中央構造帯の真上と活発化する知地震大国日本は多くのリスクをはらんだままである。もんじゅ、六ヶ所村も相当怪しげだ。
当面は2増1減程度の目安で特に危険性の高いものは停止していくというのを電力会社に提示する。電力会社の方は全面再開を要求すれば、すべての責任は電力会社に投げられることになり、そうした強行突破をする勇気は電力会社にはないだろう。この妥協案でとりあえず、危険な原発をとめ、ある程度の電力供給力は確保する。最も危険な原発を止めることで脱原発派も一応安心、更には産業界も安心。脱原発か原発推進課という二者択一的、煽情的なプロパガンダの横行する国政も当面回避することができる。

この妥協策でこの先2-3年の電力供給体制をしのいでいる間に、事故調査の結論、安全基準の改定をじっくりやればよい。また原発の本当のコストというのもはっきりしてくるはずだ。その結論を待って国民の間でじっくりと脱原発についても納得がいくまで議論すればよい。原発の再開を急ぐと再開した事実に安全基準を合わせる、あるいは事故調の答申を解釈しなおすという結論の逆流が起きかねないのが日本の原子力村の道理である。そうした抑圧的な政治は震災後の日本を二分する危うい政治に他なならない。脱原発派はますます政治不信に陥るであろう。政治不信の拡大は戦前のようにデモクラシーは破たんの危機を迎えるであろう。

今、政治家には現実をさばくプラグマチズムが最も必要とされている。それは国全体を思う知性と勇気の発露に他ならない。

2011年6月17日金曜日

消費税よりも節税節制

我々中小起業者は税金に対して敏感だ。そして誰でも大なり小なりやっているのが節税だ。でも中には無駄な節税も多い。期末になると、無理してでも備品を買ったり、発注したり。中にはたいした利益をだしてもいないのにばかでかい金庫を買ったりするところもある。どうせ経費だからと外車を買うくらいならば、個人目線で、社用車に国産車を買えば、国内消費も喚起されるし、利益も多少はでるだろう。税収が年間30兆円しかない国は震災対策の財源に消費税を増税しようと躍起である。消費税は間違いなく、消費者マインドを冷え込ませ、どの企業の売り上げも直撃する。それを回避するために、節税を少しゆるめて、ほどほどにすることはできないものか?と、一零細起業者である私も考えているところである。

2011年6月8日水曜日

地産構想で復興構想会議をぶっ飛ばせ

まずは増税で始まった国の復興会議、高台住居、エコカーで高台から漁港通勤、瓦礫で鎮魂の森とか、土地勘のないお話が当然のことながらオンパレード。補正予算はといえば補助金付け。三位一体の改革をはじめとする地方分権を民主党は党是にしていたはずなのに、地方主体の視点はまったく見られない始末。旧態依然の上から目線である。
復興構想会議なぞ頼りにしなくとも地元は地元で最善の復興案を立てて、むしろ国に押し付けるくらいでちょうどいいのではないかと思う。島原市は普賢岳の噴火の災害復旧の際に完全な地元のイニシャチブで93ヘクタールの安中三角といわれる被災地の再生に成功している。土石流で押し寄せた土砂で平均6mのかさ上げを行い、新たな土地を作り上げたという。総埋め立て量526万立方メートル、これは今回の震災で発生した瓦礫の約5分の一弱。地元だからできる大胆な発想、国の抵抗を押し切って92億円勝ち取った結果の成果である。東北も安中三角の精神に見習うべしである。

被災した各市でも復興計画が立てられていることは新聞記事で散見するが、漠然とした内容しか報道されていない。スケジュールも予算もおそらくまだ議論をする余裕がないのであろうと推察される。国の計画がどう連携するのか、予算とはどうつながるのかは判然としない点も多すぎる。今回、震災、原発では政府が情報通達、開示でいたるところで躓いている。隠しているだけではないのであろうが、伝えてやるという態度を改めて、話を聞く、対話をするという態度をもてば、おそらく多くの問題が深刻化しなかったのではと思う。復興計画も国、県レベルともに行政のみの視点では、実施の際に必ず齟齬が出る。NHKのニュースでは気仙沼の仮設住宅の入居率は30%程度という。復興どころか、避難の段階でさえ住民との意思疎通がうまく言っていない。これでは復興までの道のりは険しいであろう。

東北を以前よりすばらしい場所にするという意気込みやよし。国民も広く期待を持って見つめている。しかし、新しい酒をもるには新しい皮がいるのだ。いっそのこと、インターネット、TwitterなどのSNSメディアを使って、各市の復興会議をオープンにしてはいかがか?会議をU-streamで中継してもいい。ニコニコ動画でもいいかもしれない。視聴者からもどんな意見でもどんどん集めたらいい。どの市のWEBを見ても書き込みさえできない一方通行の掲示板、これでは真の情報発信はおぼつかない。大事なのは住民との対話である。そして支援の熱を広く国民から得ることである。霞ヶ関での陳情の時代はもう終わったと心得るべし、である。それには全国に情報発信し、交信する必要がある。多くの人の関心さえ集まれば、人も、金も国も、動くはずである。復興予算を立てて、国の予算がこなければ、広くネット住民にふるさと納税等で寄付を求めればよい。おそらくSNSで支持の高い施策に対してはかなりの寄付が集まるのではないかと思う。

2011年6月7日火曜日

二匹目のムジナをつぶせ

3月12日の深夜、私は生まれてはじめて自分の家族を守るという意識のもとにTVを見るという経験をした。福島一号機の爆発のあと、海水注入による冷温停止という朗報を待ちこがれ、ひたすらNHKの原子力保安院の会見を見続けた。しかしTVが映し出す場面は、原子炉の水位計の値がマイナスであるという発表を繰り返し棒読みし、緊迫さもないアルバイト風の担当者(この人を二度とTVで見ることはそれ以降なかったが)の姿のみであった。記者からの、マイナスというのはどういう意味か、燃料棒が全部露出しているのかという質問に、燃料棒の長さの答えにもつまり、水位計が破損している可能性もあるので値に信憑性がないという言い訳間で持ち出し、最後は東電に問い合わせるということで場を逃げた。こんな無責任な組織が危機を管理していることに驚愕しつつ、東京から非難する可能性を考えながら、眠れぬ一夜は過ぎていったのを覚えている。数日後、友人に原子力保安院は原子力不安院に改名すべしと軽口をたたいてみたが、日本の原子力事故への対応機関がまったく無能であることの事実が軽くなるわけでもなく、不安はいっそう募るだけであった。

保安院とはいったいどういう機関でどういう能力を持っているのかは、その後の、のらりくらりした会見で少しずつ見え始めた。組織内には分析、計画、対策に関して何も能力がないというか努力した形跡もない。基本的に東電に直接発表させずに東電の情報をスクリーニングして公表するのみである。非常電源を集めもしなければ、放水車を調達するわけでもない。警察や、自衛隊に頭を下げるわけでもなく、傍観するのみ。汚染水の処理対策を立てるわけでもない。放射性物質の拡散を計測することもしない。現場は一週間一人派遣したのみであとは東電に丸投げで東電が何かミスをするとだめだよと注意をやんわりと与えるくらい。有体にいえば、官邸と東電の間にいる茶組坊主程度としか言いようがない。所詮、ローテーションで配置される経済官僚に体を張って現場に張りつくことを期待することのほうが無理なのだろう。

本日のNHKニュース9(6月6日)の報道によれば、福島の保安院オフサイトセンターは地震後、電源喪失で非常招集をかける送信装置が稼動しなかったため、緊急本部を地元の自治体と立ち上げることもできなかったとのことである。この非常事態召集は各委員の携帯電話に直接つながるようになっていたというのであるが、例え、今後非常電源を整備しても地震などの大規模災害の際に携帯がつながるはずがない。専用回線も持っていなかったのかとあきれたが、オフサイトセンターは何を目的に作ったのかと思ってしまう。電話不通事態のために開発されたのがインターネットであり、それを取り込んだシステムになっていないこと自体、ひどく時代遅れの体制といえる。更には地震後5日までには放射線量が高くなったので現場から60km離れた福島にセンターを移動した。勿論、放射線遮蔽構造も持っていなかったわけで、このシステム自体が非常時用ではない、要はおためごかしの会議室としか言いようがない。結果として、危険地域での住民の非難指導もできていない。移動して何をしていたんだろうという疑問もわく。福島の第一号機の水素爆発くらいは確認できたはずであるが、これを官邸に通報したのは警察ということになっている。

原子力保安院が経産省という原子力推進派の機関内にあることが間違いであるいう議論は耳たこであるが、内閣府に直属の原子力安全委員会が何か役に立ったかというとその結果はゼロ以下といえる。耐震基準の策定においては地震、津波という災害対応の原発の設計基準の手抜きにお墨付きを与えただけである。危機対応の面では、津波後、斑目委員長は電源喪失しても原子炉からは放射能は絶対に漏れないと首相にアドバイスしたとか、非常時には海水注入で再臨界の危険性がゼロでないといったとか、危機に際してのアドバイスも害の方が多かったとしか言いようがない体たらくである。菅首相が官邸に引きこもって、大学時代の友人を集めたというが、それは菅首相の能力の問題であろうか?まるで危機に対応できない無能で無責任な組織を引き継いだ国家元首の悲劇に同情する私は少数派のようである。しかしながら、彼をそこまで追い詰めたのは誰かということのほうが問題ではないのか?

原発事故の批判はすべて東電に集まっているが、それは正しいのであろうか?西山の頭はズラではないかというくらいで保安院、安全委員会に対する批判はあまりない。公務員の給料を下げるとしたら経産省がほとんど引き受けるべきだと誰も言わないのはなぜだ?東電にたくさん非はある。しかし、国策でなかったら、原発を東電は一機でも建てたであろうか(これについては「電力会社への質問状」の項を参照)?予期せぬ事故の際には国家を上げてバックアップしてくれるはずではなかったのか?原子力非常事態宣言は首相が発令するのだよ。現場で命を張って最後までがんばっているのは一部とはいえ、東電の社員と協力会社社員という重い事実もある。先日書いたブログ「知事抹殺」の本にも佐藤元知事が原発停止という際に県庁スタッフに「敵のムジナは二匹いる、一匹は東電だ、もう一匹は経産省だ。ほんとの敵は二匹目の方で、これには顔がなく、自分では責任を取らず、逃げるだけだ。逃がさぬように注意して戦いに挑め」と激を飛ばすくだりがある。そろそろ我々は敵の本丸を攻撃しなければ東電という死体に鞭打つ間にほんとの悪はのうのうとのさばるのではないか?ムジナの親分をつぶさなければ脱原発もなければ、原発の安全管理も保証されることはなく日本の不幸は続くであろう。ここで言う敵は保安院にいたアルバイト風の役人でもなければ、西山氏でもない。敵は保安院というシステムにある。

保安院は分離ではなく、廃止処分しかない。では今後の原発の危機管理はどこがするのか? 学者、役人が管轄する限り、危機対応は無理と見たほうがいい。ありうるとすれば、特別組織あるいは自衛隊あるいは警察ではないか。普段から危機対応を任務とし、訓練をつんでいる機関の下におくしか方法はないのではないかと思う。次回は東電の分割について書こうかと考えているが、東電も今福島原発の収束に当たっている人たちはまず別会社に分離すべきではないかと考えている。これら社員を保護、優遇する必要性からも、事故の健全な収束という国益の面からもその方が理にかなうように思う。その別会社の一部のスタッフは経験を継承するためにも、自己収束の目途がたった時点でこの原発危機管理組織に編入してもらう(天上がり)ことも必要となるであろう。新しい機構の任務は、まずは日本にある残り、48機の原発の危険度の査定と危機管理体制のゼロからの構築であり、保安院体制との決別である。悪しき安全神話を断つためにも、保安院からは一切、人を入れない形であらたな原発危機管理組織を再出発するのが望ましいと考える。