3月12日の深夜、私は生まれてはじめて自分の家族を守るという意識のもとにTVを見るという経験をした。福島一号機の爆発のあと、海水注入による冷温停止という朗報を待ちこがれ、ひたすらNHKの原子力保安院の会見を見続けた。しかしTVが映し出す場面は、原子炉の水位計の値がマイナスであるという発表を繰り返し棒読みし、緊迫さもないアルバイト風の担当者(この人を二度とTVで見ることはそれ以降なかったが)の姿のみであった。記者からの、マイナスというのはどういう意味か、燃料棒が全部露出しているのかという質問に、燃料棒の長さの答えにもつまり、水位計が破損している可能性もあるので値に信憑性がないという言い訳間で持ち出し、最後は東電に問い合わせるということで場を逃げた。こんな無責任な組織が危機を管理していることに驚愕しつつ、東京から非難する可能性を考えながら、眠れぬ一夜は過ぎていったのを覚えている。数日後、友人に原子力保安院は原子力不安院に改名すべしと軽口をたたいてみたが、日本の原子力事故への対応機関がまったく無能であることの事実が軽くなるわけでもなく、不安はいっそう募るだけであった。
保安院とはいったいどういう機関でどういう能力を持っているのかは、その後の、のらりくらりした会見で少しずつ見え始めた。組織内には分析、計画、対策に関して何も能力がないというか努力した形跡もない。基本的に東電に直接発表させずに東電の情報をスクリーニングして公表するのみである。非常電源を集めもしなければ、放水車を調達するわけでもない。警察や、自衛隊に頭を下げるわけでもなく、傍観するのみ。汚染水の処理対策を立てるわけでもない。放射性物質の拡散を計測することもしない。現場は一週間一人派遣したのみであとは東電に丸投げで東電が何かミスをするとだめだよと注意をやんわりと与えるくらい。有体にいえば、官邸と東電の間にいる茶組坊主程度としか言いようがない。所詮、ローテーションで配置される経済官僚に体を張って現場に張りつくことを期待することのほうが無理なのだろう。
本日のNHKニュース9(6月6日)の報道によれば、福島の保安院オフサイトセンターは地震後、電源喪失で非常招集をかける送信装置が稼動しなかったため、緊急本部を地元の自治体と立ち上げることもできなかったとのことである。この非常事態召集は各委員の携帯電話に直接つながるようになっていたというのであるが、例え、今後非常電源を整備しても地震などの大規模災害の際に携帯がつながるはずがない。専用回線も持っていなかったのかとあきれたが、オフサイトセンターは何を目的に作ったのかと思ってしまう。電話不通事態のために開発されたのがインターネットであり、それを取り込んだシステムになっていないこと自体、ひどく時代遅れの体制といえる。更には地震後5日までには放射線量が高くなったので現場から60km離れた福島にセンターを移動した。勿論、放射線遮蔽構造も持っていなかったわけで、このシステム自体が非常時用ではない、要はおためごかしの会議室としか言いようがない。結果として、危険地域での住民の非難指導もできていない。移動して何をしていたんだろうという疑問もわく。福島の第一号機の水素爆発くらいは確認できたはずであるが、これを官邸に通報したのは警察ということになっている。
原子力保安院が経産省という原子力推進派の機関内にあることが間違いであるいう議論は耳たこであるが、内閣府に直属の原子力安全委員会が何か役に立ったかというとその結果はゼロ以下といえる。耐震基準の策定においては地震、津波という災害対応の原発の設計基準の手抜きにお墨付きを与えただけである。危機対応の面では、津波後、斑目委員長は電源喪失しても原子炉からは放射能は絶対に漏れないと首相にアドバイスしたとか、非常時には海水注入で再臨界の危険性がゼロでないといったとか、危機に際してのアドバイスも害の方が多かったとしか言いようがない体たらくである。菅首相が官邸に引きこもって、大学時代の友人を集めたというが、それは菅首相の能力の問題であろうか?まるで危機に対応できない無能で無責任な組織を引き継いだ国家元首の悲劇に同情する私は少数派のようである。しかしながら、彼をそこまで追い詰めたのは誰かということのほうが問題ではないのか?
原発事故の批判はすべて東電に集まっているが、それは正しいのであろうか?西山の頭はズラではないかというくらいで保安院、安全委員会に対する批判はあまりない。公務員の給料を下げるとしたら経産省がほとんど引き受けるべきだと誰も言わないのはなぜだ?東電にたくさん非はある。しかし、国策でなかったら、原発を東電は一機でも建てたであろうか(これについては「電力会社への質問状」の項を参照)?予期せぬ事故の際には国家を上げてバックアップしてくれるはずではなかったのか?原子力非常事態宣言は首相が発令するのだよ。現場で命を張って最後までがんばっているのは一部とはいえ、東電の社員と協力会社社員という重い事実もある。先日書いたブログ「知事抹殺」の本にも佐藤元知事が原発停止という際に県庁スタッフに「敵のムジナは二匹いる、一匹は東電だ、もう一匹は経産省だ。ほんとの敵は二匹目の方で、これには顔がなく、自分では責任を取らず、逃げるだけだ。逃がさぬように注意して戦いに挑め」と激を飛ばすくだりがある。そろそろ我々は敵の本丸を攻撃しなければ東電という死体に鞭打つ間にほんとの悪はのうのうとのさばるのではないか?ムジナの親分をつぶさなければ脱原発もなければ、原発の安全管理も保証されることはなく日本の不幸は続くであろう。ここで言う敵は保安院にいたアルバイト風の役人でもなければ、西山氏でもない。敵は保安院というシステムにある。
保安院は分離ではなく、廃止処分しかない。では今後の原発の危機管理はどこがするのか? 学者、役人が管轄する限り、危機対応は無理と見たほうがいい。ありうるとすれば、特別組織あるいは自衛隊あるいは警察ではないか。普段から危機対応を任務とし、訓練をつんでいる機関の下におくしか方法はないのではないかと思う。次回は東電の分割について書こうかと考えているが、東電も今福島原発の収束に当たっている人たちはまず別会社に分離すべきではないかと考えている。これら社員を保護、優遇する必要性からも、事故の健全な収束という国益の面からもその方が理にかなうように思う。その別会社の一部のスタッフは経験を継承するためにも、自己収束の目途がたった時点でこの原発危機管理組織に編入してもらう(天上がり)ことも必要となるであろう。新しい機構の任務は、まずは日本にある残り、48機の原発の危険度の査定と危機管理体制のゼロからの構築であり、保安院体制との決別である。悪しき安全神話を断つためにも、保安院からは一切、人を入れない形であらたな原発危機管理組織を再出発するのが望ましいと考える。
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