最近海江田経産大臣は原発の再稼働を促しているが、これは経産省と産業界の短期的な利害を代表するだけで国民の安全を守る政治家のトップとしての資質を疑わせる言動である。福島原発は津波による全電源喪失の前に地震によって既に主要な配管等に破損があった可能性が高く、その意味において現在の耐震基準で補強された原発の安全性は未だに確保されていない。不確実性の高いものを安全ということは1000年に一回の津波を無視する以上に無謀であろう。筋論からいえば、事故調、安全基準の見直しが終わるまでは原発の再開は大きな不安要素を抱えることになる。一方、事故調、現在の基準の見直しが終わるまでは、何も運転できないとなると電力不足で原発推進派のみならず、日々の営業に汗を流す産業界からも電力の安定供給に不安の声が上がるであろう。
となれば、まずは暫定的原発再開・停止基準を設けることが現実的な妥協策ではないか?古い原発、活断層に近いリスクの高い原発から優先的に停止指示を与える一方で安全度の高そうな原発から運転を再開するのはどうであろう。週刊現代先週号の報道では,玄海1号、美浜1,2号、大飯2号、高浜1号機と中性子被ばくで老朽化、脆性破壊の可能性の高い原発がごろごろしているらしいし、伊方原発も中央構造帯の真上と活発化する知地震大国日本は多くのリスクをはらんだままである。もんじゅ、六ヶ所村も相当怪しげだ。
当面は2増1減程度の目安で特に危険性の高いものは停止していくというのを電力会社に提示する。電力会社の方は全面再開を要求すれば、すべての責任は電力会社に投げられることになり、そうした強行突破をする勇気は電力会社にはないだろう。この妥協案でとりあえず、危険な原発をとめ、ある程度の電力供給力は確保する。最も危険な原発を止めることで脱原発派も一応安心、更には産業界も安心。脱原発か原発推進課という二者択一的、煽情的なプロパガンダの横行する国政も当面回避することができる。
この妥協策でこの先2-3年の電力供給体制をしのいでいる間に、事故調査の結論、安全基準の改定をじっくりやればよい。また原発の本当のコストというのもはっきりしてくるはずだ。その結論を待って国民の間でじっくりと脱原発についても納得がいくまで議論すればよい。原発の再開を急ぐと再開した事実に安全基準を合わせる、あるいは事故調の答申を解釈しなおすという結論の逆流が起きかねないのが日本の原子力村の道理である。そうした抑圧的な政治は震災後の日本を二分する危うい政治に他なならない。脱原発派はますます政治不信に陥るであろう。政治不信の拡大は戦前のようにデモクラシーは破たんの危機を迎えるであろう。
今、政治家には現実をさばくプラグマチズムが最も必要とされている。それは国全体を思う知性と勇気の発露に他ならない。
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