東北の復興は確かに地元だけでは不可能で国家を挙げての支援が必要である。とはいえ、とはいえ、その支援者が復興の中心になって采配を振るう必要はない。支援する側は基本的に金を出すだけでいいとさえ思う。これは避難所の支援にしてもしかり、最近Twitterで、「炊き出しの飯はいらないから、炊き出しの仕事をくれ」という被災者の方の書き込みを目にした。東北の人には遠慮するというが、助けてもらう側にしてみれば、人から同情受けるのはみじめさが伴うことは想像に難くない。彼らが望むのは一日も早い自立した生活の回復であろう。震災直後に台湾の元大統領の李登輝のメッセージの中に彼の台湾での震災対応に触れていた。彼は震災後各地の都市を回って、首長に自由に使える予算を渡し、最後の責任は彼が取るから住民ニーズに答えることを伝えて回ったという。良き指導者に恵まれた国民は幸せである。更にはがれき撤去などの作業に被災者を優先して雇用するように指示したという。人間は仕事と金がない限り、将来への展望もないのが現実だ。そのためには稼ぎの場が必要だ。被災の状況は各地でそれぞれ、つまりニーズもその優先度も千差万別である。それを中央で仕分けするのは無理だ。ひも付き補助金はいらない、好きに使える交付金でいいではないか?
日本の国民、政府ともに東北の支援に本気で取り組んでいる姿勢は素晴らしいと思うが、あまり私が私がと目立とうとせず、そろそろ地元に任せてはどうか?東京にいて「高台住宅」「エコシティ」、「鎮魂の森」を提案したりするのも結構だが、まずは地元の人からの提案するまで待とうではないか。
0 件のコメント:
コメントを投稿