メディアの論調を見ると、全体的に我が国の首相に対して厳しい態度である。田原総一郎氏をはじめとした評論家の論評も手厳しい。しかし、菅首相になるべき次の首相候補はだれであるのであろうか?自民党から民主党、そして歴代の首相を見ていると二つの流れがある。一つは政官蜜月政治からの脱却、そして若返り。結果として今回の大地震、津波、原発と同時に幾多の危機が訪れた時に行政ネットワークと決別していた官邸は機能麻痺の状況となった。確かに亀井静香のような伝統的な親分型政治家だったらもっとうまく官僚を使いこなしてうまく危機対処したかもしれない。阪神淡路の時の村山首相だったらどうだったであろうか?東電の福島からの撤退を許して、とうに6基の原発が制御不能のメルトダウンと爆発を繰り返し、東京都民の避難という事態になっていたかもしれない。
危機管理体制のできていなかった東電という巨大企業VS官邸という構図で原発事故処理の構図は続いているが、第一義的な事故責任は東電であり、官邸ではない。今回のメルトダウンの原因は海水注入が長時間できなかったことが最大の原因である。今頃東電は言い訳をしているようであるが、トップの決断が遅れたこと、それが無知に基づくものなか、臆病さ故なのかは事故調の調べてある程度は明らかになってくるはずである。3月の段階では菅首相の現場訪問がベントを遅らせたという報道がTV、新聞を占めて、首相の人災であるという認識が日本全体にいきわたった。その後の原発報道から明らかになったように大手メディアは菅首相に極めて厳しく、東電にとても優しい。
結論からいえば、菅降ろしは、首相一人の首をはねることで後は不問にして国民の怒りを鎮めるという古来の政治に他ならない。それでも気が収まらなければ、おそらくは清水社長の首が差し出されるであろう。あるいは東電の整理ということになるかもしれない。それで憂さを晴らした国民は原発補償、廃炉費用と高いつけを払い続けさせられることになる。
この国が先進国として生き残るとしたら、社会改革しか残された道はない。今、国民的な意識の変化と改革へのコミットメントが
形成されなければ、日本はかつてのポルトガルと同じようにずるずると坂道を落ちていくであろう。
首相下ろしはその回答ではない。
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