2012年9月10日月曜日

シャープの悲劇:集中と選択

シャープの苦境
最近の経済情報を読むとどうもシャープがやばいらしい。借金がかさんでいて、かつ株価が暴落しているので、台湾の救世主からの投資もうまく進んでいない。
日本の凋落する家電の中にあってほんの数年前までは世界の液晶TVのトップランナーとして意気軒昂だったように思うのだが、最近の栄枯盛衰のサイクルの短さには正直ついていけない。

重電からTVまでを手掛ける東芝、日立、あるいは液晶TV優位を見誤ったソニー、パナソニックをしり目に高級TV路線を独占するために果敢な集中と選択の戦略をとりシャープはマスコミの寵児であった。実際にシャープの売り上げは倍々ゲームで2001年から伸びていた。

現在、赤字を垂れ流しているがその中核部門の液晶TVとソーラーパネルだということで、どちらも吉永小百合さんのコマーシャルの印象が強い。液晶では世界の亀山と誇った巨大工場が足かせになっているようだ。コピー機とかクーラーとかは黒字で、中核部門の赤字を補完できるわけがなく、巷の噂ではコピー、空調部門を売り払うのではないかとの憶測さえ流れているようだ。そうなると赤字だけの企業になるかもしれない。赤字をなくすのであれば、むしろTVとソーラパネルを売り払うべきかもしれない。

集中と分散
結局のところ、集中と選択というのは長い目で見た場合には正しい戦略なのかを疑う必要はないであろうか?都市でいえばかつてテキスタイルで栄えたイギリスのリバプールとマンチェスター、今やイギリスの中でも衰退した都市の象徴である。社会学者で都市の歴史を研究で著名なジェーン・ジェイコブズはこうした一産業に特化した都市とより複合的な産業集積都市であるバーミングハムを比較して、より複合化した都市のほうが長期的には繁栄を維持しているとしている。企業についても同じことが言えるのではないか。

電機業界の覇者であったソニー、パナソニックの時代には日立、東芝という重電を屋台骨とする企業は常に後塵を拝していた。集中と選択を強化したシャープに対しても随分と見劣りがしたような気もする。そうした企業がいまや、数少ない黒字企業となっている。勝負は数年では測れない、100年生き残る企業はなかなかいないということかもしれない。


マネジメントコンサルタント、インベストメントバンカーでもてはやされ、企業が商品のように取引され、工場も切り身で売買され始めた頃から、その論理ベースとして使われたのがこの「集中と選択」であった。その少し前にもてはやされたのが分散によるリスクの最小化を唱える「ポートフォリオ理論」だったことを考えると、シャープの栄枯衰勢も経営哲学のサイクルのレガシーと言えなくもない。

基本に帰る
シャープのことを調べ始めて、初めて知ったのだが、金属製のシャーペンを開発し、その普及のきっかけとなったはシャープで、社名自体もそこに由来するらしい。社是は他社がまねするようなものを作ること。液晶TVはみごとにまねされて、存亡の危機に陥っているが、ぜひ「他社のまねできない」ものを作る会社に復活してほしいと願っている。

2012年2月20日月曜日

若者はなぜ反乱しないか?

若者はあわれ
今の若者を見ていてつくづくかわいそうだと思う。そしてじじいどもの悪知恵にほとほと嫌気がさす。バブル崩壊後、就職氷河期でキャリア、すなわち能力開発をする機会を奪われ単純労働者として歳を重ねた若者もすでに40代になろうとしている。本来なならば日本の経済をけん引する世代がその能力を発揮することなく生殺しのままである。その間、行政改革は遅々として進まぬまま、日本の財政は悪化の一途をたどり、2011年には国地方を合わせた債務GDP比率は200%を超えている。

財政赤字を解消するために震災直後にもかかわらず増税が既定路線となりつつある。増税のうたい文句は「将来の世代につけを残さないために」である。しかしながらこのレトリックには大きな嘘がある。 平成22年の社会保険庁の発表では、年金の納付率は約6割、4割の人が払っていない。もちろん、年齢階層別にみると年齢が上がるほど納付率が高く、若者ほど納付率が下がっている。若干古いデータではあるが平成19年のデータによれば、20-25歳代および 25歳ー30歳代の納付率は52%、56%である。現在はもっと下がっており、実質加入者は4割を切っているはずである。

  年金破綻
かつて年金破綻がかなり政府発表も含めて喧伝されたことがあり、その負のキャンペーンがこうした若者の低い加入率に大きな影響をあたえていると考えられる。2055年には65歳以上の老齢人口は全人口の40%を超えると考えられており、労働者2人で1人の老人を支えることになるという人口推計がそうした議論のベースとなっている。
  年金制度維持の奇策
解決策は何か?
これは筆者の勘ぐりであるが、あの一連の情報リークは加入者を減らすのが目的で行なわれた情報操作だったのではないかと思っている。なぜなら年金問題は将来の問題であり、今は十分に足りて、余剰金もある。つまり現在の問題ではないからである。年金は現在の世代の納付により受益者への支払がされるというのが基本であるが、不足分は国庫支出でまかなう仕組みとなっており、そのために消費税が少しずつ、あげられるというのが既定方針である。では未加入者はどうなるかというと、将来消費税によって、加入者の年金支払に貢献するのみで何も得られない。たとえ、不満の声を上げても、それは義務である加入を怠ったあなたの責任と切りすれられて終しまいである。

例え、老人人口が増えても年金受給者が減ればシステムは崩壊しない。例えば3割の加入率だったとすれば約8人の労働者が1人の老人を支えることになる。加えて消費税10%を年金に使うとしよう。将来のGDPは減少して300兆円だとして、そこからの上がりが約30兆円、人口は減って8000万人だとすれば、そのうち約3000万人が老人で、その3割、約1000万人に年金を支払わねばならないが、一人頭使える消費税は300万円もある。かなり楽勝でな感じではあるがいかがであろうか? 


若者はまず反旗を翻すべし
消費税の値上げ、年金制度の維持で誰が特をするか、その一番は公務員、次は大企業の社員と言うことになるであろう。一番割を食うのが、フリーターとか契約社員というステータスの人たちで、今の生活費の工面のために年金を払うことができないという人たちである。そういう人たちも、コンビニでペットボトルとおにぎりを買い、携帯で友人と口を交換するたびに、消費税を払い、老人の世話をすることになる。もちろん、現在の生活を作ってくれた先人が 年老いたときに世話をするのは現世代の義務ではあると思う。しかしながら、年金未加入の若者は年金制度を維持するために貢献しても、自身が老人となったときには、一人ほっぽり出されるのである。それでよいのか? 将来に付けを残さないというレトリックにだまされていいのか? 若者は早く目覚め、たちあがるべきではないか? 

2011年11月10日木曜日

現代国取物語

橋下知事危うし
今、日本にいないので実感がないのだが、大阪市長選挙で橋下知事が苦戦しているらしい。
それも自民、民主、共産まで寄ってたかって、落とそうとしているらしい。要は強引な
改革をつぶそうという既得権益の大集合、全くの呉越同舟状態のようである。
この辺りは ダイアモンドオンラインの岸博幸「TPPと大阪W選挙の共通点」
http://diamond.jp/articles/-/14810
にも論評されてる。

どちらかというと橋下知事は人間的にあまり好きではないが、やはり日本は地方から変えていくしかないのであろう。それには彼のようにちょっと無謀なくらいの活力のある人が必要だ。織田信長だって、決していい人ではなかった。むしろ、彼の傲慢さが天下統一を可能にした。よい人には改革はできない。暴君信長が倒れた後に、少なくとも太平の世は訪れた。同じように、橋下知事もいずれはさる。そのあとには改革された制度が残る。同じような人が九州、北海道と出てきてくれば地方も変わってくるであろう。


現代国取物語
地方行政改革といっても上から目線の道州制などさらに地方の活力を奪うことにしかならないと私は思っている。平成の市町村大合併で活力が出た都市があるのであろうか?要は、中央政府の都合でお荷物の僻地をひとくくりしたか、大きな都市に押し付けただけである。

ここからは私の夢想である。たとえば、県境は毎年見直しを県境の住民の自由意思に任せることにしたらどうであろうか。県境にいる人たちはどっちの件についたほうが得か考えて、住民投票で決めることにする。決断のカギになるのは福祉とか住民税、あるいは教育などの公共サービスの水準ということになるであろう。つまり払っているお金に対してよりお得な県に入ったほうがいいと考えるようになる。他の県の都市に触手を伸ばす方はおそらく税収の上がりそうな都市を取り込もうとするであろう。そのためには、その周りの田舎の村も取り込まなくてはならないということになる。たとえば、広島県福山市などは工業都市であるが、岡山と広島の境にある。岡山としてはこれを取り込めば、かなり産業を取り込むことができる。

笑顔の公務員
例え、攻め込んでいかない、守りに徹するとしても、しっかり守るためには、住民の支持が必要、そのためには節約に励み、公務員も住民に笑顔を振りまいてサービスする必要がでてくる。それだけも住民は随分と得するというものだ。郵便局だって、民営化されるという話が出たころからずいぶん愛想がよくなった記憶がある。人間、落ちると地獄と思うと自己改革ができるようになる。安泰という気持ちが自己改革を遅らせる。

政治劇場復活
たとえば、港湾都市としてすっかり凋落した神戸・兵庫であるが、混乱する大阪府の北西部、豊中市あたりから攻略したらどうであろう。関東は東京の圧倒的な財力のもとに切り崩しは難しいであろうが、これまで、東京の場末に甘んじいた、神奈川、埼玉、千葉がその劣等意識を一掃するために関東連合を立ち上げ、徐々に切り崩して最後に石原王国は皇居中心の千代田区を残すのみとなったりして、石原知事が「皇居落城は絶対に回避する。」と叫ぶ姿を想像したりする。勝手な夢想には際限がない。

日本国取物語が復活すれば、マスメディアにも格好のネタができ、言葉狩りなんてつまらないことで発行部数を稼ぐことはしないであろう。混沌からしかエネルギーは生まれない。

2011年10月21日金曜日

下町ロケット:新しい産業は中小企業が作る

下町ロケット
下町ロケットはご存じ直木賞小説である。どんな結末が待っているかも、大体想像がつく。人物設定も受けそうな設定、悪役と悪っぽいが実は最後は味方とか魅力あふれる人物がちりばめられている。とはいえ、案の定、比較的単細胞な私は最後あたりは滂沱の涙ながら読んだ。主人公の直面する問題は経営に携わる者ならば、うなずきたくなるものばかり、資金繰りに、従業員とのコミュニケーション、できているようでできていない。大企業の官僚的な対応、横柄さ。それを乗り越えねば商売もない。そうそう、と思わずうなずくことばかり。
零細・下請けのイメージ
日本で中小企業というと大企業の下請け、つまりは縁の下の力持ちというイメージが定着している。よってそこにはどこか
わびしさが漂う。しかし、エコノミストのスティグリッツもいうように、新しい雇用を作り出すのは中小企業なのである。大企業はリストラをし、下請けにコストカットを要求するだけなのだ。それは先が見えているからである。新しい企業は最初は当然中小企業、だから小回りが利く、つまらない管理はしない。要は無駄が少ない。コンプライアンスなぞ知ったことではない。それが新しい環境に適応する力となるのだ!

起業率・廃業率
ところが日本では廃業率が企業率を上回るという事態が80年代後半から続いている(中小企業白書2010)。また、日本の企業率は2001-2004年は3.5%、2004-2006年はもちかえして5.1%となったが、廃業率はその間、6.1%、6.2%と確実に日本の企業ベースは縮小しているのである。一方米国、フランスなどを見るとどこも起業率は10%を超えている。つまり、産業の新陳代謝がよいのである。

もとは皆、中小企業だった?
今、市場価値世界一位の企業であるアップルも始めたときは零細企業。2人の若者が始めた企業である。マクロソフトも、グーグルも一緒である。アップルとマイクロソフトの創業者はどちらも大学中退者である。いわば、既存の枠にとらわれない無手勝流の若者が世界を席巻したといっていい。日本にもかつてはソニーの森田、本田の本田宗一郎というゼロから世界企業を作り上げた人たちがいた。しかしそういった若い企業が輩出しているという話はきかない。楽天も、ソフトバンクも素晴らしいと思うが考えてみればドメドメ企業である。あえて言えばユニクロ?しかし、イノベーションで世界に出ているわけではない。もともと日本は財閥系の大手ががちっと支配するお上しはいのこうぞうである。そのルーツをたどれば政商だったり、国策会社だったりする。彼らの経営が官僚的で、創造性に欠けるのはそのルーツの性であろうか?そうした企業がいまだに経団連とかで業界を牛耳っている限り、中小企業が出ていく余地はなかなかうまれない。

韓国の躍進
撮りためていたNスペ、昨年10月の「緑色戦争」(2010年11月14日)をみた。番組では韓国政府の第二のサムスン計画として環境技術に政府が真剣に取り組む姿と日本の大阪の中小企業が中国進出で苦渋の思いをしている姿を対比している。中国のしたたかさはさておき、韓国企業が政府の支援で受注を獲得、方や革新的な技術デモってしても越えられない価格の壁にぶつかり、現地委託生産の選択をした時のインタビューの社長の不安にみちた虚空をさまよう目には憐憫の情さえ感じさせられた。きっと丸裸にされて儲けもなく中国から帰っていくのかと。
新幹線、原子力と重厚長大の輸出を模索する日本に比べて小回りの利く中小企業の海外進出を助ける韓国企業、その戦略性のスタンスの違いに唖然とした。

日本復活のカギ
日本復活のカギは元気な起業家が輩出できる環境を作っていくこと言うことになる。最近、経産省を退官した古賀茂明氏は
その著書「官僚の責任」ではトヨタのような下請けに甘んじていては将来はないとまで言っている。トヨタは下請けから絞り上げることで巨大な利益を出しているが、下請けにはまったく利益が残らないようになっている。利益なしに将来の成長はないともいえる。またトヨタが国内の生産をやめる、あるいはトヨタがコケれば、下請けもこけてしまうことも遠い将来の話ではないかもしれない。

日本にはJETROという経産省の外郭の輸出促進組織がある。現在はあまり知らないが、20年以上前にお付き合いがあったころにはおもにMITIの出先機関として接待とお出迎えに忙しそうな組織であった。独法化できっとよくなったかとはおもうが、あまりに輸出超過が続いたので一時は輸入促進までやっているという本末転倒を起こしていたが、この組織を解体するなり、独立させるなりして、輸出促進を再度見直さないと、早晩日本は韓国、中国に輸出市場をあらかた取られるであろう。今は国を挙げて輸出企業の育成に合理的精神で臨んで勝機をつかむ最後のチャンスかもしれない。

2011年9月20日火曜日

スローライフの経済成長論

今回の震災の後、ネットででは、多くの人が、これまでの多消費型の経済からの脱却を訴えている。この夏の節電も別に15%程度、電気を使うのを控えても別に生活に困らなかったという向きもあるであろう。無駄な消費をしなければ、エネルギー消費も少なくて済む。ならば原発を止めてもいいだろうという論理が、反原発、スローライフ派の人たちの主張だ。しかし、江戸時代の「倹約令」のような節約を政府が政策として打ち出したりすることはない。これ以上景気が冷えると、ますます、失業者は増え、税収も落ち込むのを危惧するからである。震災の後、花見とかコンサートを自粛する動きが出た時も、景気の後退が復興を妨げるという意見が結構あった。確かに皆で節約するとGDPも減ってしまう。

このジレンマを解くカギは、これからの日本の行く末を考えるうえで重要である。経済は単純化したほうが分かりやすい。
ある南海の孤島の人口10人だけの経済を想像してほしい。そのうちの5人は農業で食料を生産している。もちろん食料は10人が食べてハッピーな量だけしか生産していないはずだ。なので需要と供給はぴたりと合っている。しかし、ある時この村の知恵者が島の経済を研究したところ、この島の人たちはメタボでそのために成人病が多く発生しているということが分かった。更には、生産した食べ物も管理が悪く、多くがネズミに食べられたり、腐ったりして生産物の4割が無駄になっていることが分かった。村議会ははカロリー消費20%低減のメタボ撲滅作戦、20%水準への無駄低減を政策として打ち出した。さて困ったのは農民である。この政策が実現すれば、生産はこれまので60%で足りることが明らかだ。一部の農民はこの新政策は経済を疲弊させるといって反対運動を計画し始めた。

ここまでは日本の原子力村と農民は同じ精神構造であることはお分かりであろう。自分の狭い利益に目がくらむとそういうことになる。ところがこの島の人たちはもう少し賢かった。農民の指導者が消費が減ることを歓迎しようと提案したのだ。彼はこういった。これまで人口の半分が食べ物を提供するのに早朝から日没まで働いていた。生産する必要量が減るのだから、まずは皆、働く時間を減らして日暮れ2時間前に仕事をやめることにしよう。これで先ずは2割の減少を雇用を減らさずして達成することができた。しかしながら、農民の所得は当然ながら2割減ることとなった。農民の反発はあったが、彼は農民たちにこれまで無駄な労働をしてきたこと、余った時間は本を読んだり、家族の世話をすればよいと説得したのだった。

早く帰宅して時間のできた農民の中にはその時間で知恵者のところへ行って、勉強する者もあらわれた。そこで一人の農民はメタボについて勉強をし、ダイエット教室を開くことにした。その結果は島人の健康は大幅に改善し、病気で仕事や勉強を休むものが激減した。平均寿命も延びて長期的には労働力も増える好結果となった。

次にはもう一人の農民が新しい蔵をたてて食物管理業に乗りだした。この蔵は厳重に分厚い壁で作られているので、ネズミの侵入を防ぎ、温度を一定に保つことができ、無駄の削減をほぼ0まで減らすことができることが分かった。この農民の倉庫業への転出で農民は3人となった。計算の得意な方は農民は昔通りに働いたら、2.5人しか必要がないことが終わりのはずである。さてどうするか、3人の所得を落として雇用を守るのかまた判断の分かれ目だ。単純な雇用確保は長い不況と新興国の追い上げで、実質賃金の切り下げで対応してきた日本と同じ道である。しかしここでも島民は違う道を歩むこととした。村の知恵者の助言で、一人は食料生産をやめて、薬草栽培に乗り出した。島の健康ブームもありこれは大きな所得を生み出すはずである。残った農民2人も知恵者のところに行き、水牛の導入による耕作効率の向上を目指すことを決めた。
これにより2人でも生産が達成できる。2人は将来を見越して、消費がさらに減っても所得が下がらないように、より収量の高い品種の導入を研究している。これが達成できれば、最後は農民一人で島全体の食料を賄うことができるはずである。

節約で島の経済は縮小したであろうか?もちろん答えはNOである。生産性の向上と新しいサービス業への転出で高い収入を得る職種ができたことにより所得は向上する。村人は以前にはなかった豊かなスローライフを満喫している。もちろん知恵者のところには助言のお礼にいつも贈り物が送られてきているはずだ。陳腐な経済用語でいえば、「生産性の向上」と「高付加価値産業の創出」が鍵ということになる。あともう一つ考えるべきことは雇用を守ることは重要であるが、個々の産業で守ることは全体の利益にならない、ましてや一企業の雇用を無理やり守ることは社会の生産性を停滞させることになりかねない。今の日本では製造業は厳しい状態におかれている。若者の失業率も高い。その一方で看護婦、介護士とかは不足している。児童の保育所も足らない。人手は一方で不足し、一方で余っている。

スローライフの普及と経済の成長は両立するか。上記の島の例を考えていただければYesといえるかもと思っていただければ幸いだ。だたし、それには労働市場の正しい意味での流動化が必要だ。多くの人が単純労働者ではなく、高付加価値を生むプロフェッショナルになる必要がある。新しい産業を興すための支援も必要である。新しい雇用を生むには規制緩和も大事だし、教育制度も変える必要があるであろう。ひいていえば、社会全体としての知恵を出す仕組みの構築が重要となる。まずはこの島の例のように遠い将来を見越した知恵者が必要なのかもしれない。この島のように皆が前を向くのは難しいですか?皆が後ろ向きで、今の仕事にしがみついていて経済が伸びないとこぼしていて経済が伸びるわけはない、とは思いませんか?

唐突ですが次回にはこの島の国債(島債?)問題について考えてみたい。

2011年9月17日土曜日

日本マスメディア向上計画

日本のマスメディアをどうしたらいいのか?先ごろの経産省大臣の舌禍事件でますます暗澹たる気持ちになってきた。昔、昔、私が就職したばっかりのころ、友人がとある大新聞に就職した。彼の話によると、まず新聞記者は夜討、朝駆が基本でともかく、担当の政治家について回るのだという。自分の書いた原稿は校了した後も印刷にかけられる深夜まで待機するというとのことであった。いつ寝るのと聞けば、車とかの移動中ということだった。という彼は、酒を飲みながら、寝込んでしまった。

現代のように変化の激しい世界では常に新しい知識を勉強しなければ時代から取り残される。寝る時間もない記者が本を読んだりして勉強する時間はあるのであろうか?おそらくないであろう。一方、記者クラブに出入りできるメディアは、官庁の大本営発表をそのまま流せば、とりあえずは紙面は埋まり、TVの時間は稼げる、何もしなくても日々の糧は稼げるわけである。となるとますます勉強することはなくなるのは人間の性である。しかしそんな報道ばかりでは読者も飽きてくるので、時たまスクープを打つ必要がある。その恰好の題材がスキャンダルであるが、昨今は愛人を囲うような度量のある政治家も少ない。となれば、金の問題か、失言ということがよいシノギになるということではないか。まして首相の首を取ればきっと報奨金くらい出るのであろう。日本の首相がころころ変わるのは彼らの力が弱くなったこともあるであろうが、メディアの読者、視聴者確保の営業材料に具されているだけである。漢字が読めないとか、英語を間違えたとか、低俗なアラさがしでまずは下地を作っておいて、より大きなミスでドカンと落とす。あとは仕上げを待つだけ。メディアはいつから首狩り族になったのであろうか?ただ、それを喜んでいる国民がまだいるとしたら、新聞紙にくるんで捨てるべきである。

もう一つの問題は、ウルフォンセン等の外人の政治学者がよく指摘している点であるが、日本の記者は政治の情報を国民に伝えることではなく、政治を動かすことを動機として仕事をしているいう点である。ナベツネとかはキングメーカーとして有名であるが、自分が祭り上げるのに関わった総理大臣のことについて客観的な報道ができるのか?答えは小学生でもわかるであろう。しかし、政治にかかわりたがっているのはナベツネだけではない。個人的な経験では、ある勉強会で、NHKの記者が、大臣をはめた話を披露しているのを聞いたことがある。自分の推し進めている福祉改革に対する質問に半分ひっかけで、大臣から言質を奪った経験を得意げに話していた。確かに多くの人が彼女の進める方向性は正しいように思ったのだが、そのために報道はゆがめていないのか?われわれは真実を知っていたのか?という疑問が残る。

今回の原子力村騒動で、自分自身の原発の知識の貧弱さに愕然とした。同時にマスメディアの歪みを多くの人が認識するようになったのはよいことだったと思う。われわれが愚民であるとしたら、その判断能力を問う前に、まずは正確な情報が得られているかどうかを問わねばならない。いっそのこと新聞、TVを見ないという運動もいいのではないかと思ったりするが、そうすると経済的に困窮して彼らはますますイエロージャーナリズムに走っていくであろう。

解決策はまずは記者クラブを廃止すること。次は新聞社等が証拠の整備をすすめるように多くの人が名誉棄損で訴えられるようにしたらどうであろう。なかなか妙案はない。有徳の金持ちが出資してスキャンダルは大きく取り扱わない、政策を取り上げるということを社是にするメディアでもつくってくだらないメディアを淘汰するしかであろう。

トマス・ジェファソンは出版の自由の必要性について、1787年に「新聞のない政府と、政府のない新聞のどちらをとるか、もしその判断を任されたなら、私は,瞬時のためらいもなく、後者を選ぶだろう」という有名な言葉を残した。そう思えるメディアが一つでいいからほしい。

2011年9月4日日曜日

「原発論争」と「夫婦ゲンカ」の相似性

とある中小企業経営者の一家の台所のシーン。
近年の不況で会社の経営は青息吐息である。疲れた表情で帰ってきた夫に奥さんが畳み掛ける。
妻:「ねえ、あんたまた飲んで来たの?」
夫:「仕方ないだろ。営業なんだから!」
妻:「お酒飲んで午前様ばかりじゃ、命を切り売りしているようなものじゃないの?あなたはいつもお金、お金と儲けの話ばかりだけど、健康あってのお金でしょう?子供の教育は全部私に押し付けて。子供のことは心配じゃないの?」
夫:「毎日営業で駆けずり回ってもなかなか契約も取れない。借金を返したら、今月の給料が払えるかどうかさえ危ういところなんだ。、今度の営業を逃すと大変なことになるんで必死なんだよ」
妻:「今のうちに商売替えでもしたらどうなの?たとえば介護とか、今後伸びるような分野に乗り出すとか?」
夫:「そんな、そんな不慣れなことに手を出しても、すぐつぶれちゃうよ。今はともかく生き残りで必死なんだ。」
妻:「会社なんてつぶれても家族さえしっかりしていれば何とかなるわ。いざとなったら私の実家にひきあげたっていいし。」
夫:「今まで贅沢ができたのは誰のおかげだと思ってんだ?生活レベルを落として家族が満足するとは思えないよ。」
いつまでたっても議論は平行線のまま、やがて家族内不信の渦はどんどん拡大していく。

中小企業を「日本」、接待営業は「原発」、夫は「経団連+経産省」、妻は「自然エネルギー推進市民団体、そして子供もつ全国のお母さんたち」に置き換えてみると、今の原発論争の構図ではないかと思う。

新興国の追い上げ、そこに加えての円高による日本企業の海外移転の加速、風評被害による輸出の落ち込みなどなど企業を取り巻く環境は大変に厳しいものがある。それに追い打ちをかけているのがこの夏の節電、そして電力料金の値上げ問題である。日本に競争力のある企業は残るのか?

企業は基本的に金の流れが止まるとあっという間に死に絶えてしまう。大口の契約をなくしてしまえば、企業の生命など数か月の運命である。収入なしに1年も持つような余裕のある企業などまず存在しない。日々の稼ぎが企業の生命線である。したがってともかく電気をくれ、何とか客先を日本においておいてくれということになる。一方、子供を育てる母親たちは、子供の将来という20年先、いや一生が視野に入っている。子供が何をやっていてもいい、金持ちでなくてもいい。健康でさえいてくれればと願うのが母親というものであろう。したがって原発何という危ないものは許容の外である。

目先の稼ぎ(しのぎ?)で頭がいっぱいの夫と何十年先のことを考えてる妻の間の議論はかみ合うことがない。以上はNHKの新生日本という番組のエネルギー討論を見ながら、これはいわゆる互いの立場を理解しない夫婦げんかに近いという感想を抱いて思いついたことである。

では解決策はあるのであろうか?喧嘩には仲裁が必要であろう。双方が相手の立場を尊重する態度しか
あゆみよりはない。原発再開も新しいもの、活断層から離れている安全性の高いものははとりあえず再開容認、その代り、今稼働する古い玄海一号などは停止と、合理的な判断をすべきである。さらに福島の事故調の結果をみて停止の是非を考えればよい。そうした道筋をちゃんと国民に確約すれば、反対派も説得できるはずである。

そして仲裁だけでなく、目先しか見ることができない夫=経済界には、手を差し伸べる必要がある。環境、医療、放射性廃棄物の除染、介護、再生可能エネルギーなど、あらたな糧を得る方法を支援できれば目からうろこで新しい商売にもチャレンジする意欲がわいてくるというものである。

そのために一番合理的なことが規制緩和と起業支援である。たとえば地熱、国立公園での開発は難しいが景観修復を条件に許可を積極的におろせば、国の予算は必要ない。たとえば、放射性物質の測定、アイソトープセンターの児玉先生の言われるように日本の画像技術と測定技術を用いれば世界に冠たる産業になるであろう。たとえば、ロボットの除染への応用などいくらでも新しい仕事は創出しうる。仕事を作るための規制緩和、安全な生活を確保するための規制を組み合わせることで雇用も創出できるはずである。

調停をし、めんどうみのいいおじさんに野田政権がなれるかどうかに脱原発の行方も日本の産業の行方もかかっている。