2011年7月31日日曜日

官僚制度は社会の癌?

連日東京新聞が経産省、保安院の非倫理的な組織行動について追及を続けている(2011.7.29現在)。経産省のTwitter, ブロガ―の情報監視に続き、中電、四電でのやらせ公聴会指示問題と追及の手は止まない。完全にバイアスのかかった原発ありきの情報操作を行ってきたことが白日の下にさらされることになった。政府は保安院を分離することだけで乗り切るのかきわどいところまで追い込まれ始めている。

異端のエコノミスト、シュンペーターは資本主義の強さの源泉は市場メカニズムの破壊力にあると看破した。社会に不適応を起こした企業、製品は市場から淘汰されることにより、新しい産業、製品の創造の契機となるというものである。どんな老舗の企業でも社会環境の変化についていけなくなれば、商品が売れなくなり、最後は倒産する。倒産することは多くの不幸な失業者と家族を生み出すという悲劇を生む。しかし、倒産は個々の企業にとっては悲劇であるが、資本主義社会全体では必要不可欠な仕組みである。社会のニーズに合わなくなった企業を市場から退出させることにより、無駄な資源が使われることを最小化することができるようになる。不要な組織を抹消することで新たな組織=企業が生まれる素地を用意することになり、産業全体の活性化が図られていく。生物の種においての個体の死とあるいは生物個体と細胞の死と関係資本主義経済における企業の倒産は同じ関係にあるといってもいい。個々の死があるから種としてあるいは一匹
の生命の健全性が保たれる。企業の死は必ずしも社会にとって悪いことではない。

同じように民主主義という政治機構は選挙民の支持を失った政治家を瞬くまに政治の舞台から抹殺する破壊力を持っている。どちらも小規模の破壊を常に繰り返すことで経済、政治体制全体の鮮度を保つという機能を持っている。前近代的な社会は、破壊-改革とう機能がなかったため、破滅寸前まで社会全体が衰退し、革命を持って再生が始まるという犠牲の大きいものであった。しかし、現在でも決して死なない組織がある。官僚組織である。

一度作られた官僚組織は容易にはなくならない。生物学的に言えば「癌細胞」に似ている。通常の細胞はアポートシスと言って傷ついたり、不要になったりすると自殺するプログラムが埋め込まれている。癌はそのアポートシスによる制御が効かなくなったために増殖し続け、細胞の母体全体の生命を最後は奪い取る。官僚組織も増大化のみを自己目的化した組織であり、自分自身でその存続に終止符を打つことはない。

国民的の視野からすれば本来不要になった官僚組織は廃止にすべきである。まして反社会的な行動をとった組織を温存するのは犯罪的でさえある。基本的に公務員が政策を誤って、国民に被害を与えても官僚個人は免責される。情報隠し、詐称、やらせを行っても官僚組織が責任を追及されることもない。検察は民間組織を挙げても公的組織を背任行為として訴追することはない。政府機関が政府のあらさがしをするのは自己否定であるからであろうか。今回の原発事故の原因も経産省と保安院、更には文科省、原子力安全委員会といった組織の罪が大きいのは明らかである。原発推進のために耐震基準、事故調査、建設許可すべてで手抜きをしていたという指摘があるにもかかわらず、メディアの官僚組織の責任追及の少なく、議論はとかく政治家と電力会社に集中しがちである。


現代の経済はIT技術の急速な進歩、グローバルな企業間競争の激化とその変化のスピードは加速する一方である。日本が世界の経済覇権を握るのではないかと畏怖されたのもほんの20年前である。いまや韓国、中国の後塵を拝して日本の経済は今や窒息寸前である。日本企業の必死の生き残りを傍目に綿々と古色蒼然した組織を維持することのみ注力しているのが官僚組織である。現在、公的部門の影響は公共事業、社会福祉など直接的な関与のみならず規制、認可と実体経済のほとんどに及んでいる。日本経済の生産性を高めていくには、行政の生産性を高めるしかない。なぜソ連の共産主義はほろんだのか?イデオロギーは別として、共産主義は基本的に官僚が資源の配分を決定する仕組みであるからだ。官僚組織は滅びない、不要なものも生き続けるために、資源の無駄遣いが続く。その一方社会のニーズは変化するので新たなサービスを提供するには新たな官僚組織が必要となる。古いものを消さずに次々と新たな官僚組織を付け加えれば社会の生産性は次第に落ちていく。現在の政府の予算は特別会計を合わせると200兆円を超えている。GDPの半分近くが官僚組織の裁量で決定されているわけである。日本は半分共産主義の国といっても過言ではない。


官僚組織のラジカルな破壊と創造を行うには強い政治力しかない。民主党の政治主導はまさにそれを目指したはずであるが、現実には完全に官僚の言いなり状態に陥っている。今回の福島の悲劇は日本人に、日本の危機を自分自身で救うことができるのかという真摯な問いを投げかけた。私は政府自体の抜本的な改革は避けて通れないと思ったが、結果はかなり悲惨だ。国民も菅降ろしの政争劇に目を奪われて問題の本丸を見逃している。リーダーさえ立派だったら政府がどうにでもなるという幻想に惑わされている。一つにはメディアの報道力がないため、個人責任追及型の報道しかできないからである。もう一つは日本には大学を含めて、真の政策検証能力がないからである。まずは福島原発の責任を官僚個人ではなく、組織に負ってもらう必要がある。大胆な官僚組織の廃止、まずは原子力保安院・安全委員会の廃止が第一歩であろう。

2011年7月28日木曜日

「将来の世代につけを残さないための増税」の嘘

バブル崩壊の後、日本の財政は悪化の一途をたどり、2011年には国中央を合わせた債務GDP比率は200%を超えている。そして現在、震災直後にもかかわらず増税が既定路線となりつつある。増税のうたい文句は「将来の世代につけを残さないために」である。しかしながらこのレトリックには大きな嘘がある。そのからくりを見てみよう。
まず国債の解消には2つの方法がある。基本路線は増税により財政バランスを黒字に持っていくこと。もうひとつは一部のエコノミストが提唱するリフレーション=軽度のインフレーションである。リフレーションは現在のデフレを打ち消し、経済を活性化するのが主眼であるが、同時に国債の実際的価値を減じてくれるので政府は債務削減もできる。この方法は増税のような直接的な痛みを伴わない等のメリットはあるが、インフレーションは市場の機能を低下させる、投機を誘発する、ハイパーインフレーションになれば経済麻痺を引き起こす可能性があるなどのリスクも多々ある。当然のことながら通貨の番人の日銀が最も嫌う策である。ここまでは一般常識的解説であるが、この2つのオプションには実は世代間の所得の移転という側面を持っていることを見逃してはならない。
総務省の「家計調査」によれば平成22年度の2人以上の世帯において世代ごとの貯蓄額は次のようになっている。


単位:万円/世帯
平均 30歳未満 30~39歳 40~49歳 50~59歳 60歳以上
1244 274 624 1082 1585 2173

当然のことながら老人は若者の10倍近い資産を持っている。

リフレーションは日本を支配する老人層にとって不都合である。国債だけでなく、自分達が所有する現金・預金などの金融資産が目減りするのだ。例えば、年に8%のインフレを起こしたとしよう。その場合単純計算だと、現金は9年で半分の価値になることになる。更に時間の経過とともに目減りは進行する。他方現在のデフレ(1%)は約1割の価値の増加ということになる。インフレが始まるとそれに伴って金利も上昇するが、普通預金がインフレ率を上回ることはない。もうすぐ年金生活に入ろうとする年齢層にはこれはとても不安なことである。年金制度も破たんする可能性も高い現状で、老後の快適な生活を守るには自分の金しかない。他方、増税というのはどういうことか、消費税が20%まで高くなった場合でも、現在の金融資産の購買力は20%減ることになるが80%の購買力は担保されることになる。デフレと合わされば、購買力は10%程度減じるにとどまる。これは老人に都合がよいわけだ。他方、これを若者の視点で見るとどうであろうか?増税は若者の生涯に渡って課税されることになる。リフレーションの場合はどうであろう。少なくとも所得はインフレ率に応じて増加すると予想される。他方、若者の金融資産は少額である。したがって資産の目減りが将来の経済活動を影響することはない。
いま議論されている「社会保障と税制の一体改革」というのは実は「これからの老後を保障するための自己中改革」ではないかと思っている。累積債務も年金破たんも若者に責任はない。しかし、デフレを続け、増税により財政バランスを達成し年金制度を守っていくことは将来の世代を老人の奴隷化にすることにならないか。若い世代はもっともっと政治に関心を持たねばならない。

2011年7月5日火曜日

原発の安全・危機管理体制の構築

現在福島原発の現場では東電の現場職員が必死の思いで収束に当たっている。汚染水が溢れないようかつ原子炉を冷温停止に持ち込むための努力は我々の想像を絶する戦い。東電という会社に現場を仕切るそれだけの人材がいたことは日本にとっては不幸中の幸いであった。とはいえ、3月12日からの原発の関連の報道をみて、最初に起こった疑問は「日本には原発のシビアアクシデントに対応する特別組織というものはいないの?」という疑問である。オームの地下鉄サリン事件の時には化学テロ対策班のようなものが出っ張り、さすがに万が一の体制はあると一応の敬意を国に持ったものだが、今回は、まるで火事になった一般人が119番をしているがごとく政府はあたふたしていたというのが私の印象である。NHKスペシャル「なぜ原発事故は深刻化したか」でも福山官房副長官は事故当日、彼は必死に電源車をかき集めていたと証言している。政治家という技術的にも危機管理も素人がたまたまその場にいたからと言って現場責任者になっていいのであろうか?政府はすべてが初めて、まにあわせ、はっきり言って私の方がましな指揮を執れると思った方は日本に多くおられるであろう。これは一部菅首相と民主党の責任であろうが、ひょっとすると原発事故という想定外の危機に対する体制はなにもなかったのではないか?政治家は判断を下すリーダーであって、情報を収集、分析、代替案を提示する専門家ではない。そんなすべての知識があるわけはない。更に懸念するのは将来ありうる他の国レベルの危機に関しても官邸がトップになれるだけの情報収集分析、資源を瞬時に配分するシステムがこの国にはないのではないかと、危惧する次第である。

3.17、自衛隊は原子炉向けの放水車もヘリも持っておらず、とりあえず山火事を消すがごとく、ヘリで二回だけ散布した映像には世界中を落胆させた(もちろん、そのヘリの乗組員とか自衛隊を責めているわけではない)。放射能汚染水が出始めると、現場はおがくず、新聞紙まで突っ込んで対応しようとした。もちろんこれは何の役にも立たなかったのであるが、地下水汚染の民間専門家を招集する組織さえも政府にないことがいかにも稚拙に見えた。現在行われている汚染水の冷却循環システムの構築においても、原子炉冷却と調整する必要はあるが、東電の現場に負担を減らすように別組織でもできたはずだ。

災害対策体制はどうあるべきかという議論が何もわき起こらないのはなぜなのか?補正予算には福島対応の予算が入っているようにも見えないのは、東電といういわば事故の当事者に、収束を全部ゆだねるのが筋ということなのであろうか?今後とも各電力会社のベストエフォートベースで事故対応を期待するのか?要は政府は国難と言いながら、東電に全責任を負いかぶせるためになにもしないだけなのか?であるとしたら、誠に無責任な政府、(政治家+官僚組織)に我々は国民の安全を預けていることになる。今の政府がそうであるならば、それは早晩つぶしてでも、国がはっきりと責任をとるシステムを作ることが必要である。

福島を何とか収束させたとしても、残りの原発も不安である。福島が壊れた後、次の事故はもうないのかというと、週刊現代今週号の報道では,玄海1号、美浜1,2号、大飯2号、高浜1号機と中性子被ばくで老朽化、脆性破壊の可能性の高い原発がごろごろしており、伊方原発も中央構造帯の真上と活発化する知地震大国日本は多くのリスクをはらんだままである。全部止めたとしても長期に崩壊熱を燃料棒から除去するために厳重な管理が必要な原発には絶えず放射性物質拡散の危険がついてまわる。であれば、次の原発災害の対応組織も整備する必要がある。金のない政府には頭の痛い話であろうが安全があっての繁栄、優先度は高いはずだ。まず、原子力保安院はつぶすべきというのは前にも書いたとおりである。おそらく原発災害・テロ対策隊を自衛隊の姉妹機関として作ることがまずは必要ではないか?もちろん、この組織は保安院のように事故が起きた場合に伝書鳩になるのではなく、現場に急行し現場で対策組織を電力会社のオペレーションチームと立ち上げる能力を持たせる。普段のシュミレーション・訓練でも常に電力会社と合同演習を行う必要がある。また、現場の主だった所員がいなくなる、機能できなくなるという事態も可能性がなくはないのであるからどのようなシナリオも考慮済みの体制が必要である。災難を糧とするならばそれくらいの組織再構築は必要ではないであろうか?

災害に至らなくても人災によりこれまで原発は多くの事故を起こしている。保安院は独自に事前技術認証する能力も事故対応する能力もなく、事故を客観的に調査する能力もない。基本的に書類審査機構である。違反に対して取り締まるいわゆる警察力(英語で言うところのEnforcement)もない。米国で法律において規制を行う場合には通常Enforcement 体制を付与するが、日本では口頭注意で刑事罰を与えることはまれである。しかしながら、原発のように多くの国民の生命を危機にさらす可能性のある施設・組織を規制するには警察力がなければ実効が上がらないということはこれまでの事故で公然と情報の隠ぺい、改ざんが行われてきたこと、過去の教訓から日本の原発の安全がどの程度改善されたかということを見れば自明であろう。つまるところ自衛隊のような機動力と警察のような普段の取り締まりが必要というのが原発という特殊な発電組織に対して必要といえよう。

新保安院は自衛隊の特殊部隊的な危機対応能力と、警察的な安全遵守の監視の双方の機能を持たせた強力な組織であるべきだ。悲しいことに脱原発にせよ、原発継続にせよ、使用済み燃料棒と放射性物質がある限り、こうした特殊組織がなければ国民の安全は担保されない。事故調の分析からそうした組織体制への強化が出てくることを望んでやまない。

2011年7月1日金曜日

原発長寿国ニッポン

日本が世界に唯一最先端を行く高齢化。皮肉にも原発もそれに歩みを合わせている。他の国々が
普通20-30年で廃炉にするところを日本だけはいつまでも使いまわそうとしている。日本には30年を超える原発が19機も運転されている。
世界に胸を張って「モッタイナイ」と「敬老精神」の発露と言えないところが悲しいところ。
結局のところ、日本の原発は多くの老朽化原子炉が太平洋のRing of Fire 火山帯という最も危ない場所に最も頼りない原子炉が林立している状態だ。

原子炉の圧力容器はスチール製であるが、長期使用すると炉内で発生する中性子でぼこぼこになり脆くなってくる。通常は原子炉は300度前後の温度で運転さえれているが、急激に冷やすとぱっくりとお釜が割れる危険がある。この割れる可能性の温度のことを脆性遷移温度という。新品の原子炉はマイナス10度以下でしか割れないが、それが玄海一号機になると今は98度までこれが上昇しているという結果が九電の検査で明らかになっている。

原子炉に問題があった場合には緊急冷却装置が作動し、熱暴走を防ぐのが最も重要な対策であることはすでに広く知られていることである。福島第一の場合にもECCSは作動したが、作業員が手動で停止している。
http://www.asahi.com/politics/update/0517/TKY201105170193.html

なんでそんなことをしたのかといぶかしく思った人は多いだろうが、報道ではこれはマニュアル通りの手順としていた。福島第一という老朽化した原子炉の脆性破壊の危険性を考えた場合にはこれはきわめて正しい。福島第一の一号機は39年、二号機は36年、三号機は34年選手である。72年以降のデータがないがその時点ですでに50度を超えた脆性遷移温度が報告されているから、現在は玄海と同じような状況だったのかもしれない。つまり、福島は冷やさなければ、メルトダウン、冷やしすぎれば、原子炉崩壊という難しい綱渡りの緊急事態対応だったということになる(今の状況は不運ではなく、原子炉崩壊とか、水蒸気爆発が起こっていないだけ、とても幸運なのかもしれない)。

この老朽化については原子力情報資料室の以下を参照されたい。
「原子炉の照射脆化、脆性破壊に関する検討」
原発老朽化問題研究会
http://cnic.jp/files/roukyuuka20110312.pdf
前回も玄海一号機の危なさと老朽化原子炉廃炉について書いたが佐賀新聞も取り上げている。
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1968174.article.html
ということで、是非にも老朽化した原子炉の停止を次の課題としては我々は取り組まねばならない。
その妥協策として書いた「2開1停のすすめ」もぜひご批判いただきたい。