海外にいても、豊洲問題は、先週、百条委員会なるものが開かれて、その政治ショーはますます、興奮のレベルを上げているのが伝わってくる。こうした公開議論はそれ自体が政治ショーとなって、 夏の都議会議員選挙に向けて、ますます、メディアもテンションを上げていくのであろう。
しかし、面白がっている場合ではなく、日本の将来に大きな問題を含んでいると思うのだ。多くのメディアが、豊洲を選んだ際の手続きと、移転先としての安全(安心)という2つの問題に注目する中、実は最も大事なことが完全に抜け落ちている。が、誰もそれを口にすることはない。
東京の台所といわれる築地は、いまや、外国人観光客の東京の目玉と言ってもいい。先だっても、日本に研修で招聘されたウクライナ人の御一行の唯一の観光希望地が、築地であった。『汚くて、危ない』などと、軽々しく口にする行政のトップを尻目に、いまや外人東京ツアーには欠かせないスポットとなっている。
他方、実体経済的には、築地はどんどん衰退しているのである。平成元年に1080あった仲買数は、平成27年には、638にまで減少、取扱量の方も、平成元年の80万トンをピークに平成27年は、約41万トンにまで減少している。豊洲移転が決定された平成13年には、こうした衰退の傾向は兆候ではなく、完全に右肩下がりが確定している。移転の理由の一つに「手狭になった」築地から、広々とした「豊洲」に移れば、起死回生ができるという主張があったのであるが、築地の衰退の理由は誰が想像しても分かることでであるが、2つ、一つは日本人が魚を食べなくなった(1990年の一人95kg/年から、2014年の70kg/年)、次に流通形態が変わり、スーパーなどの大手小売は、流通コストを下げるように、産地からの直接仕入れになっていることである。このトレンドは、ネットコマースが進展すれば、更に拍車がかかっても反転することは難しいのは想像に難くない。
設備を良くすれば、人が戻ってくる、売上が上がるというのは、幻想である。これは、ビジネスを知らない(知りたくもない)政治家が公共事業予算を確保する時に、日本中で使ったロジックで、それがどれだけ無駄と、地域の衰退に拍車をかけてきたかについては、もはや検証の余地もないほど、事例の枚挙にいとまがない。
経済のどん詰まり解消に、観光を目玉とした政府にとっては、築地は欠かせない文化遺産のはずではあるが、豊洲推進派はついには、築地の安全性に攻撃を始める始末で、事態は勝者なき泥仕合の様相を呈してきている。他方、はたして、豊洲に、外人観光客は行きたがるであろうか?これはかなり疑問である。整然と隔離、管理された最新の市場は、単なる流通の工場であり、歴史も文化も生活も全てをなくした空疎な空間でしかない。
観光すなわち文化を資源にすることは、歴史、景観、体験、そして生活すべてを感じられる場を提供することである。
観光すなわち文化を資源にすることは、歴史、景観、体験、そして生活すべてを感じられる場を提供することである。
本来であれば、築地の役割の衰退と継続すべき、そして観光資源としての再生を含む総合的な地域活性化ビジョンを元に、1000年の都市計画をすべきであったのが、単なる土地転がしの不動産、建設ビジョンで終わったことが返す返すも残念である。働く人、訪れる人、そして、築地の魚で商売を営み、そのサービスを楽しむ人と幅広い、広がりを持つ社会交流を提供するという文化の深みがあってはじめて観光政策は成功する。表面的な対応で参るほど、観光客は甘くはない。スラップビルドにより、当然のごとく文化遺産を破壊してきた日本の公共事業官民複合体からの脱却による新しい開発哲学の構築が必要である。